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アートコレクション?

藤原が人生を通して集めてきたアートコレクションを随時更新してご紹介。

20代の頃にはじめて入手したヒロ・ヤマガタ4作品

多分、営業でのストレス解消で買ってしまっただけで、コレクターの意識はありませんでした。
続々と家に運び込まれるのを見て、父に怒られた想い出も。
これがコレクターの道の始まりだったのかもしれない。

それがヒロ・ヤマガタ「スカイサイクル」「泥棒1」「野外音楽会」「ステンドグラス・スタジオ」
…そして、60歳になってから、最初にリクルート本社の裏で出会ったのに買う勇気がなかった「スノー・ファイヤー」をYahoo!オークションで入手。これだけ奈良の家に持って行って飾っていました。
ちなみに「スカイサイクル」は、販売担当の女性の「これは、スピルバーグが居間に飾ってるそうですよ」というトークに乗せられて、初めて買ったもの。90万円で一切値引いてくれなかった(苦笑)。

この写真はヤマガタの絵によく出てくる「バゲットを抱えて歩くフランス人風おじさん」のフィギュア。たぶん、朝食用のバゲットをパン屋さんで買って、家に帰るところでしょう。
33歳で結婚した時、画廊の社長と当時の情報ネットワーク部の部下たちが協力して結婚祝いにプレゼントしてくれたもの。
(奥に写っているのが初めて買った「スカイサイクル」です)

ティン・シャオ・クァンのシルクスクリーン

ヒロ・ヤマガタの次に4枚ほど連続して入手したのがティン・シャオ・クァンのシルクスクリーンでした。
玄関には「パラダイス」、1階和室には「母と子」を飾っていますが、
はじめから今の住まいは永福町美術館と銘打ってこの2つの絵を飾るために建てたのです。
この作家は文化大革命で幼い頃に父母と引き離されて台湾で暮らすことになったとのこと。
だからでしょう「母と子」を題材にした愛情あふれる作品が多いのです。

応援している若手作家、神津善之介。

神津善行さん、中村メイコさんの長男でスペイン在住。
J・トレンツ・リャドに師事。現在も精力的に作品を生み出し国内外で個展を展開。
写真は藤原が依頼して描いてもらった大きな掛け軸「森の絵」

神津善之介氏ウェブサイト https://yoshinosuke.net/

河口湖在住の木版画家、杉山邦

同時代にリクルートでアルバイトをしていた杉山さん。
その後イタリアで木版画家としてデビューしました。
自宅のリビングに三連作で3人の子どもたちにまつわる絵を描いてもらいました。
杉山邦氏ブログ https://sugiyamaku.exblog.jp

陶芸家に収まらないアーティスト、林茂樹

Q.P.という作品を一点、書斎に置いています。
林茂樹氏ウェブサイト https://lighthouse-kanata.com/artists/shigeki-hayashi/

京都在住のロックな壁画絵師、木村英耀

巨大な壁画作品が秀逸な木村さん。
拙著『はじめて哲学する本』の表紙に象が天に向かって飛んでいく群像を使わせていただいた。

木村英輝ウェブサイト https://ki-yan.com

最後の印象派、ホアキン・トレンツ・リャド

結婚してすぐに子どもができ、お金もないのに「俺が買う!」と言ってしまったのが、水と光の魔術師・ホアキン・トレンツ・リャドの油絵原画「カネットの夜明け」。
結果的に友人から600万円も借りることになってしまった。
その後の顛末は奇跡のような話になるが、拙著『どう生きる?』(祥伝社新書)に詳しい。

この絵は自宅のリビングに掛けてあるのだが、画商が写真を撮りに来て、その後、シルクスクリーン作品としても販売された。
離れてみると、池の水の中に手が入ってしまうのではないかと思うくらいに透明感のある絵なのだ。
45歳で急逝してしまったので、作品はもう増えない。
リャドの画法を継承したのが、生前、マジョルカ島のアトリエで弟子となった画家・神津善之介である。

藤原が一番すごいと思っている画家は…

フェノロサに見出された江戸期最後の狩野派の天才、狩野芳崖。
悲母観音像」は、ラファエロの聖母子像やダ・ヴィンチ「聖アンナと聖母子」にも匹敵するのではないか。人間界に降りていく赤子を見送る観音の表情が・・・一度だけ上野で公開された時に見にいって泣いた。

母は築地小田原町狩野家の末裔なのだが、画家であったのはひいじいちゃんくらいに当たるのか、狩野渓雲久信。父親も兄も早くに亡くしたので直系男子が絶えたため、画家を継いではいない。
いつの日か、狩野派の復興はあり得るのか!?