
船曳建夫著
PHP新書
720円(税抜き)
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「日本人論」は好まれる。外国人にシニカルにつつかれると身をよじって喜んだり。しかし国家としての「日本論」はからっきし苦手が多数派ではなかろうか。そこには、右とか左とかいうイデオロギーの匂いがついて回るからだ。
本書はその苦手を克服してくれる。右翼か左翼かなどと聞かれても困るが、普通に愛国心のあるまともな日本人が、国のあり方について軟らかく再考できる。
著者は東京大学教授で文化人類学者。ホリエモンや人気マンガ「ドラゴン桜」の敏腕編集者を輩出したゼミの先生としても名高い。
著者の分析によると「日本の対外的な国家体制は過去500年間、明治期から今に至るまでも、信長、秀吉、家康の3人が理想として追求した3つの国家モデルを使い分けてきた」という。
最も早くから西洋伝来の銃を戦術に取り入れた信長は、配下のキリシタン大名が天正遣欧使節を欧州に送るなどしており、キリスト教に寛容だった。仏教を抑える道具として利用しながら、国際的な場に日本が出ていく「国際日本」モデルを希求していた。
秀吉は、宣教師を追放するなど西洋の影響をいったん排除しつつ、東アジアに武力で進出。南蛮貿易を自らの管理下に独占し、中国に取って代わってアジアにおけるイニシアティブを取ろうとする「大日本」モデルだった。
家康は、国際的なキリスト教勢力からの脅威に対し鎖国によって国を閉ざした。一方で、国内に細かい支配の網の目を張り巡らせる緻密なマネジメントシステムを形成し「小日本」モデルの確立を意図する。
日本が目指すべき国家の姿は、ひたすら米国の傘下で生き永らえる「小日本」モデルでも、アジアを従えようとするマッチョな「大日本」モデルでもなく、フィンランドなど北欧諸国に似た「国際日本」モデルでもない「中庸国家」。3つの使い分けが大事と著者は指摘する。
しかし、その前提として「明治維新以来、日本は140年近くかけて、なすべきこと、走るべき競争はやり尽くした、という感があるのではないでしょうか」と問いかける。「あなたは、あなたの子供や後輩に、自分を超えてもっと頑張り、自分がやり残したことをしてほしい、と言いますか?」とも。読者は、これにどう答えるだろうか。
成長を絶対とするのではなく「美しく衰えるための戦略」が求められているのではないか。成熟社会を生きる技術が国にも個人にも問われているのではないか、と私には映る。
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