保阪正康著 新潮新書 720円(税抜き)


 バランスの取れた戦争本。近現代史に疎い世代に必要な知識がコンパクトにまとめられている。なぜ疎いのか? 教えられていないからである。
 中学校でまともに太平洋戦史を教えられる教員は少ないし、微妙な問題をはらむから試験にも出ない。塾での受験勉強でも飛ばされるし、高校に行っても覚えるのが楽な世界史の方が好まれる。悲しいが、受験に出ないものは学ばれなくなるのだ。
 だから、この本を窒オて、多くの読者が従来とは違った戦争感を持つに違いない。少なくとも私には、次のような記述は新鮮だった。
 「首相に就いた東條が、企画院に命じて行わせた必要物資の調査では、海軍省も軍令部もその正確な数字を教えなかった。(中略)この会議での調査報告では、その当の石油の備蓄量は、『二年も持たない』との結論であった。結局、それが、直接の開戦の理由となった。しかし、実は、日本には石油はあったのだ」
 「『戦術』はあっても『戦略』はない。これこそ太平洋戦争での日本の致命的な欠陥であった。しかし、思うに『日露戦争』までの日本には、『戦略』がきちんとあった。引き際を知り、軍部だけ暴走するようなこともなく、政治も一体となって機能していた。国民から石を投げられてでも、講和を結びにいくような大局に立てる目を持つ指導者がいた」
 「このポツダム宣言に関して、一つ大きな問題が判明した。(中略)鈴木(貫太郎首相)はあくまで“判断を保留する”という意味で『黙殺』という言葉を使ったのだが、海外では“ignore”、『意図的に無視する』という風に訳されてしまったのである。(中略)トルーマン(米大統領)は、『これはチャンスだ』と思ったといわれている。トルーマンは、もう原爆実験の段階で、日本に原爆を使うことを決めていたのだ」
 指導者の誰もが「なぜ戦っているのか?」という疑問を持たず、無為無策のまま戦争を続けていた、と著者は指摘する。戦争の以前と以降とで、日本人の本質は何も変わっていないのではないか、とも。
 「戦略」の欠如である。教育の現場にいる私も思う。創造性が大事だと言われて「ゆとり」教育が生まれた。やっぱり基礎学力だと反論されて「読み書きソロバン」に揺れ戻る。いったい、どんな日本人を戦略的に育てる気でいるのだろう?
 「なぜ教育改革をしなければいけないのか」も怪しくなってきた。指導者はこの1冊から、戦時の教訓をもう一度学ぶべし。
(2005年12月19日号書評)
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