
三浦展著
牧野出版
1300円(税抜き)
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通勤電車で見ることはない。でも、土日に繁華街を歩いたような時、服は全体的にだぼだぼ、スカートではなく色落ちしたジーンズをはいて重ね着している(昔の中年男性のような帽子をかぶっていることも)20歳前後の女の子を見かけることが多くはないだろうか。
これが著者の言う「かまやつ女」である。無論、風体がかのミュージシャンに似ているところからの命名だ。
「かまやつ女」系ファッションの起源は原宿あたりの美容師で、ヘアやペットやお菓子関連の職業に憧れる専門学校生、女子大生、フリーターに多い。高学歴でそこそこの企業に入り、ブランドで身を固めたキャリア系の女性との階層分化が始まったのだと本書は指摘する。
著者は、渋谷公園通りの若者文化を捉えた「パルコ」の元編集長。
1990年代以降、ファッションが本来の階層上昇願望を満たすものではなくなった。「階層上昇自体が現実に期待できなくなっているからである。だから、いま、ファッションは、一見本人が自由に選択しているように見えて、実は本人の属する階層がファッションを決める時代に戻っているのだ」。江戸時代、士農工商それぞれの身分で着るものが異なっていたように。「かまやつ女のゆるゆるファッションは、どこか時代劇で見る江戸時代の小作人に似ているようにも見える」。
経済協力開発機構(OECD)の調査によると、平均的な世帯所得の半分以下しか所得のない人口比率は日本が15.3%で、もはやOECD諸国平均の10.2%を大幅に上回っているという。「勝ち組」「負け組」の階層化に気づいてしまった若者の間に、未来に対する希望が失われる「希望格差時代」の指摘もある。米国も階層差のはっきりした社会だが、奨学金などの制度が日本とは比較にならないくらい整備されており、階層上昇への機会均等は意外と保障されている。
「かまやつ女に限らず、現代の若者の最大の価値は自分らしさだ。就職も結婚も、まるでファッションのように自分らしくありたいと思っている。働く気があっても、自分らしくない仕事はしたくないと思う」
ベストセラー『負け犬の遠吠え』は「30代・未婚・子ナシは負け犬か?」という論争を呼んだ。「かまやつ女」の登場は、果たして何を問いかけるか?
“自分らしさ”を追いかけた末に、小作人としての身分に甘んじるフリーターを増やしてしまっている現実があるとすれば、その“らしさ”はあまりにも危うい。どうやら“らしさ”の前に、学校や家庭で身につけなければならないことがいっぱいありそうだ。
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