川島隆太著 講談社 インターナショナル 1400円(税抜き)


 『脳を鍛える大人の計算ドリル』と『脳を鍛える大人の音読ドリル』が売れている。単純な1ケタの計算と名文の書き出しを読むだけのドリルを、子供ではなく大人が自分のために買っていく。発売から9カ月間で180万部も。
 著者はドリルの編者である。東北大学の教授だが、専門は画像処理技術を駆使した脳機能の分析。研究の過程で創造力をたくましく鍛えるためには、巷間言われる右脳開発トレーニングより、音読や単純計算でのトレーニングの方が効果があると気がついた。
 この仮説は、一般に信じられている「左脳は論理的思考、右脳は直感的思考」とか「創造やイマジネーションは直感的なものだから主に右脳の働きによる」という言説に反する。クリエーティブで難解なことに取り組んだ方が、脳が鍛えられるという常識とは正反対だ。
 著者はこの証明のために、老人ホームを舞台に、痴呆症を持つ高齢者に音読と単純計算を繰り返し行ってもらう実験を試みた。やがて被験者に自発的な学習の動機づけが起こり、コミュニケーションが豊かになったり、オムツが不要になったり。過去の自分の記憶を取り戻したばかりでなく、100歳を超えてなお学習を続け、教える側に回る方や、髪の毛が黒くなるというような若返りのケースも報告される。
 帯には「『頭のいい、悪い』は遺伝子では決まりません。」の文字が躍る。何とも、勇気づけられる言葉ではないか。前頭葉を刺激することがカギだというのだ。
 読者の中には、自分は毎晩カラオケで歌っているから音読と同じ効果があるはずだと勝手に解釈する人もいるかもしれない。しかし、伴奏つきのカラオケでは前頭前野はほとんど働かず、独りアカペラで歌うなら活性化するらしい。
 学力低下問題に揺れる教育界には、この理論は時宜を得ていた。やはり「読み書きソロバン」の反復が大事だという学力論者に根拠を与えたからだ。
 著者によれば、私たちの生活はますます便利になるから、前頭葉を使わなくて済むようになり、人間がサル化するのは当然だということになる。論理的に物事を説明できなかったり、キレたり、他人や家族に暴力を振るったり。「いったい、誰の意志で、このような全国民サル化計画が推進されているのでしょうか?」。
 だから、意識して自分の脳を鍛えなければならない。筋肉を鍛えるように。まずは、満員電車の中でも、吊り革につかまって本を読むことから始めよう。
(2005年3月28日号書評)
2005年2月7日号へ2005年6月6日号へ

よのなかnetホームページへ戻る