
香山リカ著
ちくま新書
700円(税抜き)
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現代人が抱える漠然とした不安。その行き先を警告する本である。著者は臨床経験豊富な精神科医だ。
まず、1988〜89年に起きた当時26歳のMによる連続幼女殺人事件と、2003年に長崎で起きた12歳の少年による幼児殺害事件について、マスコミや識者がどのように事件を伝えたかという視点で比較する。前者の事件では「私の中のM的なもの」という検証が至る所で起こり、社会全体でこの問題を考えようとする態度が散見された。しかし、後者の事件では少年を早い時期に「性倒錯者」と決めつけ、事件の背景を広く考えるのをやめてしまった。
日本には、こうした、あらかじめ決められたフレーズに問題を押し込めることで個人の心にわき起こる不安を回避し、〈私〉自身のアイデンティティーを守ろうとする傾向が強まっていると著者は説く。それが教育基本法を変え、有事立法を作り、憲法までをも変えようとしていると。
確かに、平和で経済的に恵まれてはいても、何となく自分の居場所がない不安を抱えている若者は多い。一見格好よく生きているように見える芥川賞作家、金原ひとみのインタビュー記事や浜崎あゆみの歌詞の中にも「生きづらさ」が表現される。「若い人にとって『生きづらさ』は、もはや『主観』を超えた時代の共通感覚になりつつあるのだ」。さらに、BSE(牛海綿状脳症)事件では「あれよあれよという間に牛丼がなくなる様子を見ながら、私たちは期せずして、『永遠に続くと思ったものが、いとも簡単に消滅する』というシミュレーションをそれぞれの心の中ですることになったはずである」。
「勝ち組」「負け組」が成熟社会でははっきりしてしまう。その変化は速い。「私たちはこれまで、『自分を棚に上げる』『相手を先にバカ呼ばわりする』『悪いのは相手なんだから』『なんだかんだ言っても大きな変わりはないじゃないか』『自分には関係のない世界のできごとだ』などと、あの手この手を使って自分や社会の内側にある『不安』から目をそむけ、『まだまだだいじょうぶ』と言い聞かせようとしてきた。しかし、もはやそれも通用しない局面が、いよいよやってきたのである」。
社会の一貫性がなくなり、個人のレベルで生活の脈絡がなくなることに対し不適応が起こると、精神医学で言う「解離性障害」が蔓延する。その場の都合にしか合わせられなくなるのだ。
自分自身が「解離」してしまっていないかどうか、読者はすぐさま、この本で検証してみる必要があるだろう。いや、日本も。
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