志村季世恵著 岩崎書店 1300円(税抜き)


 こんな職業が本当にあるのだろうか、と読者は首を傾げるかもしれない。
 著者は6歳から18歳までの4児の母なのだが、仕事として、生と死の両方のカウンセラーをやっている。「バースセラピー」をやってますと言われれば、マタニティーブルーという言葉を聞いたことのある人なら、出産前後のお母さんたちが精神的に不安定になるのを支えるセラピストかなと思うだろう。
 ところが、著者の場合は、末期ガンの患者などの要望に応えて、臨終までそばにいて話を聴いたり、疎遠だった家族とのコミュニケーションの橋渡しをする役回りまで引き受ける。欧米ではよく知られた「悲嘆ケア」という領域の仕事だ。
 死にゆく人のカウンセリングまでをも「バースセラピー」というのは、生まれ変わりを信じての宗教的な施術なのかと思いきや、そうではなくて、残された家族や友人への生のバトンタッチという意味での“再生”だった。
 「いのちの誕生と死。どちらも両極端なところに存在しているのに、どこか、つながりがあることを感じています。死は終わりではない。死んだ後、私たち残された人に宿るあの『いのちのバトン』をどう説明したらいいのでしょう」
 この本には、その説明ではなく、業務日誌のような著者の体験が淡々と語られる。
 巨額の富を得ながら直腸ガンを患い、手術後にその転移を告げられたショックで自宅の押し入れに引きこもってしまった岡部さんのケースでは、著者は説得するのではなく一緒に中に入って籠城してしまう道を選ぶ。揚げ句の果てに、グーッと鳴ったおなかを見て「オマエも腹が減ったのか?」と、誰にも心を開かなかった岡部さんは著者をそば屋に誘うのだ。
 日本のお年寄りは、平均すると1500万円の現金資産を抱えて死ぬらしい。1年に70万人以上が亡くなっているから、その現金を自らの生のために使ったら、10兆円の経済効果が生まれる。
 書籍情報誌「ダ・ヴィンチ」の創刊編集長だった友人、長薗安浩のデビュー作『祝福』(小学館)では、「年寄りが死なない国に生まれてくる子どもは、苦しいだけさ。そんな国は、どうあがいたって破滅するよ」と主人公の長谷川に断じさせている。
 救いは、この本が示す「バトンタッチ」にある。引き際、渡し際、死に際、つまり出口の演出が、入り口よりも大事な時代になってきた。団塊の世代にぜひ読んでもらいたい。
(2002年12月16日号書評)
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