
小沢牧子著
洋泉社
700円(税抜き)
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「心のケア」、「心の教育」、世は心理学ブームの時代である。産業カウンセラーやスクールカウンセラーになるべく臨床心理士の資格を取ろうとする人も多い。「それってトラウマ(心的外傷)じゃないの?」などと会話に出てきても、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」という専門用語が新聞を賑わせても、何となく分かった気になってしまう。
著者は、私たちのコミュニケーションの在り方の変化がカウンセリング願望を増産している事実を指摘し、そのうさんくささに警笛を鳴らす。
縁を持った人々と、手間暇をかけながら「問題もあって当然」の毎日の中で考え、模索し、知恵を重ねる当たり前のコミュニケーションができにくくなっている。そうなると、安心できる何かに頼りたいという気持ちが募るから、「心の専門性」をうたう権威への依存心が強まっていく。結果的に「心の専門家」の普及と浸透は、人がものを考える習慣自体を衰退させる。
つまり、心の問題をあまりにも安易に専門家に委ねると、心を消費財化し、コンビニエンスストアで“安心”を買うような傾向を強めるという指摘だ。
この本の読後感を載せた私のホームページ「よのなかnet」の掲示板には、文部科学省が全国の小中学生に配布した『心のノート』に関するメッセージが多数寄せられることになった。道徳の授業に使われる教材である。
「これを作って配るのに7億円かかっているそうです。できればそのお金で全国の学校でCAP(子供の身を守るロールプレイングゲーム)の講習会をしてほしかったと思います」
「元気でにこにこ。みんなのために役に立つ喜び。この学校が好き。伝統の尊重。愛国心を育てよう!立派なことばかり書かれています」
「他の教科書が一応出版社から出されているのに、これだけ文部科学省から出されているのも、とっても不思議です」私は早速中学1年の息子にも配られた『心のノート』を覗いてみたのだが、至るところに出没する「あるべき心」のオンパレードに言葉を失った。「自分さがしの旅に出よう カバンに希望をつめ込んで 風のうたに身をまかせ」で始まる128ページの本には、そのまま「心の専門家」の限界が見て取れる。
あるべき自分が必ず自分の内部にあると考える前提なのだろうが、そんな完成品はどこを探してもないだろう。
国が心を押しつけることは、私も許してはならないと思う。ビジネスマンであれば、ついつい頼りがちになる専門家というもののうさんくささに、改めて気づかせてくれる1冊だ。
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