小原瑞穂著 祥伝社 952円(税抜き)


 この本の扉を開けるビジネスマンは「イマジネーション」を試されることになる。別の言葉で言えば「ロールプレイングするチカラ」である。
 「これはすべて私の弟(現在36歳)の実話です。(中略)彼はしゃべったり、字を書いたり、数字を読むという行動がうまくできません。四、五歳ぐらいの知能と診断されてしまいました」と著者が後書きに記しているように、主人公は知的障害者。姉である著者は、ふとしたことからある雑誌の「自分史コンテスト」に応募するのだが、自らの自分史ではなく、弟の言葉で、弟の自分史を書いてみようと思い立つ。結局「自分が書いた自分史ではない」ということで受賞には至らなかったのだが。
 『五体不満足』(乙武洋匡著)や『だから、あなたも生きぬいて』(大平光代著)のように、言語を絶する不遇や障害を持つ主人公がそれでも前向きに人生を切り開いていく姿は、文句なしに読者に勇気を与える。でも、この本は、そういう本ではない。
 まず、主人公の「ぼく」のお母さんもお姉さんも、現在進行形で戸惑い、悩みながら生活している。決してスーパーマンではない。小さい頃に母親にセッカンされた思い出も、「ぼく」が楽しみにしている姉の家への外泊で、姉が2日でクタクタになっちゃう事実も赤裸々に語られる。
 著者は言葉をうまくしゃべれない障害者の感じていることを1人称で描くのだが、それはまさに著者の想像力に基づく世界だ。そうした手法に読者は思わず引きつけられる。「私たちが、お金を持たずに、何の知識もない国に突然行ったようなものでしょうか。言葉が通じない。街の看板の文字も何も読めない、といった感じだと思います」。
 中年の男性に成長して物事の理解もできるし、言いたいことだってあるのに、それを表現できない弟の代弁者になることで、つまり弟の役割を演じる「弟ロープレ」を繰り返すうちに、姉は“自立”とか“自由”という言葉の意味を再発見していく。
 知的障害者でなくても、私たちの周りには、自分の思うことをうまく表現できない人たちは多い。部下とか、下請けとか「弱者」と名づけられた人でなくても、一般的には「強者」と位置づけられる上司や取引先にも…。
 ビジネスマンにとって最も大事な能力の1つは、相手が何を感じ、何を言いたいのかを想像(イメージ)して「ロールプレイングするチカラ」だ。さて、あなたには、この本の著者のように、お客様や消費者になり代わって、「1人称のプレゼンテーション」ができる技術がありますか?
(2002年2月18日号書評)
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