よのなかフォーラム
[記事リスト] [新着記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

タイトル 短編小説『グランドスラム』
投稿日: 2020/06/07(Sun) 21:40
投稿者USA

いつからだろうか、こうなってしまったのは。

僕はテニスのグランドスラムのひとつである全米オープンで日本人男性初の優勝を果たした。年齢にして25歳。プレイヤーとして最も脂が乗っている時期だった。
テニス界には不動のベスト4がいて、彼らがいつも僕の前に壁として立ちはだかってきた。とくに世界ランク1位のイギリス人プレイヤーであるオーウェンには手も足も出なかった。彼には勝負所を嗅ぎわける絶対的な嗅覚が備わっており、こちらがラインギリギリに打ち込んでもその勝負所では必ず打ち返してくるのだ。
僕のコーチだったサムとは何度も何度もオーウェン攻略の糸口を模索してきた。オーウェンは勝負所では絶対にポイントを落とさない。言い換えればその勝負所でオーウェンが打ち返してきたウィニングショットを打ち返すことができればオーウェンの戦意を削ぐだけでなく、ゲームを支配できるとサムは進言してくれた。
オーウェンは私が繰り出すラインギリギリのストリートを逆サイドに打ち返す。私はその逆サイドに追いつくことができずにいつも失点する。
そこでサムはこうアドバイスをくれた。僕がストレートにショットを放った後にオーウェンの逆サイドへのリターンにも対応できるように、ショットを打ったあとにすぐにセンターに戻る練習を繰り返すよう進言してくれたのだ。その反復練習はまさに気の遠くなるような作業だった。しかしその作業が私を一段階上の高みへと誘ってくれた。
センターに戻ることを無意識に行えるようになったことでどんなリターンにも苦手意識がなくなり、そのおかげで精神的なムラがなくなったのだ。

そして、その時はついに訪れた。オーウェンのリターンを逆サイドにダウンザラインできた。その一本でオーウェンはリズムを崩し、僕は最終ゲームのタイブレークをもぎ取り遂にオーウェンを下した。日本人男性発のグランドスラムを勝ち取った瞬間だった。
僕の頭に過ったのはグランドスラム優勝の喜びよりもサムへの感謝だった。彼は僕がテニスアカデミーのあるアメリカに単身で来た時からのコーチで、テニスは言うに及ばず実生活やプライベートの悩みまでいつでも寄り添ってくれた。まさに二人三脚で歩んできた。
僕は優勝杯をサムに掲げながらこう言った。
「これからもよろしく」と。

しかしここからが僕の転落の始まりだった。
グランドスラムの優勝を狙うことと、それを継続することとは全く異次元のことだった。今までできていたことが勝負所でできない。それがなぜなのかもわからない。初のグランドスラムを勝ち取った時は攻める気持ちと何が何でも優勝するという強い気持ちがあったが、二度目のグランドスラムとなると身体と気持ちが無意識に守りに入る。
僕はパニックになった。練習ではできるのに試合でそれをパフォーマンスできないならば一体なんのための練習なのか。いつしか僕はサムに当たるようになっていた。
サムは「練習しかないよ。極限状態でのプレッシャーに打ち勝つには極限まで練習を繰り返すしかない。君は技術的には世界一なんだ。あとは精神をとことんまで鍛えるだけだ」
僕は追い込まれていた。サムの言うことはわかる。理屈ではわかるが気持ちがついていかない。これ以上何をどう追い込めというのだ。いつしか僕はサムにこんなことを口走っていた。
「サム、君はグランドスラムを一度でも獲ったことがあるのかい。今の僕の重圧なんて君には測り知りようがないよ」
「そうだね。確かに僕にグランドスラムの経験なんてない。けど君の気持ちに寄り添いたいとはずっと思っていたよ。それくらいしか僕にはできないけどね」
「サム、申し訳ないけど、少し僕は一人でテニスに向き合いたい。本当にすまない」
サムの表情は夕焼のように物憂げに陰りながら、そしてサムの影は夕陽が沈むように傾いだ。

サムと契約を解消してからというもの、僕はグランドスラムはおろかATP250を初戦から落とすようなこともあった。
テクニカルな問題があればいつもサムが指摘してくれていた。しかしその当たり前が今はない。代わりのコーチを雇ってはみたものの本能的にそのアドバイスを身体が拒否する。
サムと離れて気がついた。僕の身体は僕であって僕だけのものではない。サムと僕は身体も精神も完全に二人で一人だったのだ。
僕はようやく気がついた。サムなしでは僕は何者でもない、と。

僕はニューヨークからサムの住むカリフォルニアへと飛んだ。
サムとは契約を解消してからというもの連絡すらとっていない。だからこの旅もサムには何も告げていない。サムとは会えるのか、そもそも会ってくれるのかどうかもわからない。
サムの家は昔に訪ねたことがあったから、その朧げながらの記憶を頼りに道を進んだ。
この辺だったかな、と思っていたところで子供の声が聞こえてきた。
「ねぇ、パパ!こっち、こっち」
少女の弾むような声のあとに、慣れ親しんだ声が耳に届く。
「ジェシカ、次はしっかり打ち返せよ」
少女が打ち返したテニスボールは父親の方には弾まず、見当違いのように僕の足元に転がってきた。
僕はそれを拾い上げる。
「すみません、ボールを拾ってくれてどうもありがとう」
僕はボールを投げ返すことなく、しばらく呆然と立っていた。
父親も訝しながらボールを受け取ろうとしたとき、その目が見開いた。
「や、やぁ、サム。元気かい?」
僕は何とか言葉を紡いだ。
「驚いたよ、なぜ君がここに?」
「ごめんよ、サム。驚くのは無理ないよね。ただどうしても君に会いたくなって」
しばらく二人の間に沈黙が覆った。神妙な空気が流れていたところ、
「わぉ!あなたケンよね!?信じられない!なんであのケンがこんなところに!」
とジェシカの興奮した声が、そんな空気を和らげた。
戸惑った顔を見せていたサムだったが、ジェシカの声に気を取り戻したのか、
「よく来てくれたね」
といつもの柔和な笑顔を見せてくれた。

その晩、急な来訪にもかかわらずサムは自宅でのディナーを共にしようと誘ってくれた。
サムの家族からは意外にも歓迎を受けた。
「今日は特別な御馳走を用意するわ」と意気込みながら、サムの奥さんとジェシカはキッチンでディナーの支度をしてくれている。
僕は困惑した。かつてはパートナーだったとしても、コーチ契約を解消したのだ。良い印象があろうはずもない。
そんな思いを察してか、
「ケン、君は我が家のヒーローさ。なんたってあの全米オープンのチャンピオンなんだからね。僕はそんなヒーローのコーチだったんだ。おかげで僕も鼻が高いよ」
と僕の気持ちを和らげてくれた。
「その件だけどさ、サム、、、」
僕はなかなか言葉を切り出せずにいた。
ここに来て僕の考えは定まらずにいた。
「僕は本当に君に酷いことを言ってしまった。僕はグランドスラムを獲ったことで何かを勘違いをしてしまったんだ。あたかも自分の力だけで栄誉を勝ち取ったと言わんばかりにね。そんな思い上がりがあったからこそ、君に僕の気持ちなんかわかるはずなんてない、なんてことを口にしてしまったんだ。君とパートナーを解消してからというもの、僕はもう完全に自分を見失ってしまったよ。君を失ったからこそ、君が僕にとって掛け替えのない存在だと気付いたんだ。僕は出来ることならもう一度君と一緒に戦いたいと思った。でも正直戸惑ってる」
僕は謝罪の気持ちを素直にサムに伝えた。サムの家族の好意的な雰囲気も手伝ってか、何も体裁など取り繕わずに自分をさらけ出すことができていた。
「サム、僕はどうしたらいいかわからないよ。コーチ契約の解消を切り出したのは僕だ。それなのに僕の方からまた君と一緒になりたいなんてあまりにも身勝手なことだよね。それにね、サム。今日君の家族と過ごしてわかったよ。君がどれだけのものを犠牲にして僕に尽くしてくれていたのかということを。
僕たちは世界中を飛び回っていた。つまり君は自分の家庭との時間を割いてまで、ずっと僕の側にいてくれたってことだ。それはとてつもなく大きな犠牲だ。僕は今日の今日までそんなことにすら気付いていなかった。ジェシカの笑顔を見て僕は胸が痛んだよ。どれだけの笑顔を僕は彼女から奪っていたんだろうと。彼女の笑顔を見たらね、もう一度君と一緒にやりたいなんていう資格が僕にはないように思う。いや、きっとないよ。僕は強い気持ちでカリフォルニアまで来たけど、そんか決意はもう薄らいでしまったよ。今日は本当に来て良かった。君とそして君の家族に会えて本当に良かったと心からそう思うよ」
サムはずっと黙って僕の話を聴いていた。
その表情からはサムの気持ちを窺い知ることは出来なかった。でも一方で僕は満足していた。自分のありのままの気持ちを曲がりなりにも伝えたことで気持ちがすっきりとしたのだ。
「ねぇ、パパ、ケン、料理できたわよ」
僕がサムに語り終えたのを見計ってか、ジェシカが出来立てのラザニアを慎重にテーブルに載せた。ラザニアに続き、ドンドン料理がテーブルを彩り豊かに染めていく。腕によりをかけて用意してくれたことがこれでもかと伝わってくる。
ディナーはとても楽しい時間だった。
僕はサムとの思い出話に花を咲かせていた。
「サムはね、コートでは僕以上に熱いんだよ。僕が少しでも試合で気を抜こうものなら、
こら、ケン!もし負けたらこのあと居残り練習だぞ!
なんて叫ぶんだよ。僕はサムの練習の方が辛いから試合なんていつも必死だったさ」
そんな取り止めもない話を奥さんもジェシカも満面の笑顔で聞いてくれていた。
食事も一段落して、サムと散歩がてら夜風にあたりに行くことにした。アルコールも手伝ってか、夜風が妙に心地よい。
二人の間の空気にも心地良さが流れていた。
サムが徐ろに語りかける。
「なぁ、ケン。実はさ、ジェシカはJr.ハイスクールではテニス部なんだよ。なぜだかわかるかい?」
「なぜって、君がテニスのプロコーチだからかい?父親がテニスをしてるならそれに影響されることはよくあることだろ」
「違うんだよ、ケン。僕の影響じゃないよ」
「じぁ、なんだってテニス部に入ったんだろうね」
「それはね、ケン。君の影響だよ」
「えっ!?」
思わず大声を出していた。全く予期していなかった答えだったからだ。
「僕がだって?僕の何に影響を受けたっていうんだい?」
「全米オープンさ。オーウェンに何度リターンを返されても諦めずに食らいついていく君の姿にジェシカは夢中になったのさ。彼女は当時クラスメートからいじめられていてね。でも君のガッツを見たらとても勇気を貰ったらしいんだ。そしてね、ある時僕にこう言ったんだよ。
私もケンのように強くなりたい
って」
「僕が強い?」
「そうさ、君は強い。君は自分の弱さに向き合える強さがある。だから今日もこうして遥々ニューヨークからカリフォルニアまで来られたんだ。誰にでもできることじゃない。僕はとても嬉しかったよ」
「それじゃ、サム。もしかして君は僕と、、、」
「もちろんさ、ケン。君はジェシカを救ってくれた。今度は僕が君を救う番だよ」

4年後 全米オープン
「それでは優勝者からファンの方々に一言よろしくお願いします」
「皆さん、今日は本当にありがとうございます。ファンの皆さんの応援があったからこそ、こうやってまたこの場に立つことができました。そして何よりこの優勝を共に喜びたい人たちがいます。サムとその家族に心より感謝したい。グランドスラムは決して一人で取れるものじゃない。このタイトルは僕のものじゃない。応援してくれるみんなのものです。心より愛しています」


- 関連一覧ツリー (▼ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 返信フォーム (この記事に返信する場合は下記フォームから投稿して下さい)
おなまえ
Eメール
タイトル
メッセージ   手動改行 強制改行 図表モード
参照先
暗証キー (英数字で8文字以内)
  プレビュー

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 暗証キー