よのなかフォーラム
[記事リスト] [新着記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

タイトル 小説『原石』
投稿日: 2020/01/18(Sat) 01:26
投稿者USA

小説『原石』

俺はある人を慕い尊敬していたからこそ、その人の下でなんとしてでも指導を受けたかった。だからこそ幾度となくアプローチをかけ、実際に面と向かっての直交渉を続けたがその人は最後まで首を縦に振らなかった。
俺はその人が自分のことを輝かしい未来に導いてくれる人と疑わなかったので、その人のことを「導師さん」とここでは呼ぶことにする。

導師さんはいわばサッカーのトレーナーとして神様だった。導師さんはJ1の優勝常連クラブに所属するトレーナーで、J1の優勝もさることながら数々の選手を同クラブから欧州へ送り出すことに貢献している。
俺は高校サッカー選手権で優勝し、MVPにも選ばれた。複数の有名クラブからも声がかかっておりそこには欧州クラブも含まれていて、自分で言うには憚られるが実力は折り紙付きだった。
クラブからの引き合いは後を絶たなかったが俺はどうしても導師さんの指導を仰ぎたかった。
それは導師さんがあるインタビューに応えていたことがきっかけだった。
「私は何もしていませんよ。ただ目の前にある輝かしい原石を磨いているだけです」
その謙虚な一言が導師さんの人柄を物語っているように俺は感じたし、事実として導師さんの指導の下、多くのサッカー選手が成功をその手に納めている。
そうであるならば、俺も導師さんから「原石」として認められ、ぜひ磨いてもらいたいと思うのは野心があるものならば当然の願いだろう。
導師さんからいい返事がもらえないということは、つまりは原石と見られていないに等しい。俺のプライドと心は期待が大きかった分だけ脆くも崩れかけていた。

導師さんから断られてからというもの、どうしていいかわからないまま、どこのクラブに所属するかなかなか決断がつかず高校を卒業するまでの時間を徒らに持て余していた。
俺は欧州クラブの中で特にバルセロナの大のファンであり、いづれバルセロナの一員としてプレーすることが小さい頃からの夢だった。
バルセロナの試合はほぼ欠かさず観ている。
だから今もこうしてテレビの前に釘付けになりバルセロナの試合を観戦していた。
中でもブラジル代表でもあるカバーニに目を向けていた。カバーニはかつてJリーグに所属しており、何を隠そう導師さんの愛弟子なのだ。
カバーニはJリーグで得点王になり、その実績が認められオランダ一部リーグのフェイエノールトに移籍した。移籍後2年目には同リーグでまたもや得点王に輝き、晴れてバルセロナから白羽の矢がたったのだ。
バルセロナでもその輝きはさらに増す一方だった。ブラジル人独特のリズムから生まれるドリブルを武器に得点を重ねているのだが、何よりもカバーニの人気を不動のものにしているのはその献身的な守備だった。
導師さんのサッカースタイルは好守の切替を要としており、ロストボールの後にいかにボールに詰め寄るかを徹底的に指導していた。ボールを奪われても自陣でボールを奪い返せば相手の攻撃の目を摘むと同時にすぐに攻撃に転ずることができる。ゆえにその作戦にはフォワードの守備意識が何よりも重要となるのだ。
カバーニの守備意識は導師さんの指導から芽生えたものに他ならず、カバーニは欧州に新しい風を芽吹かせ今やカバーニそのものが欧州サッカー界のスタイルを動かしているといっても過言ではなかった。

カバーニがチャンピオンズリーグで決勝点を決めた。両腕を天高らかに掲げ仲間と共に喜びを爆発させていた。バルセロナの本拠地カンプノウは地鳴りのように揺れていた。そんな大騒動とは裏腹にカバーニの視線はある方向に静かに向けられていた。カメラはその視線の先を捉えていた。
そして、その視線の先には、、、
あの導師さんがいた。
カメラに映っていたのは時間にしておよそ数秒だったので導師さんに気がついた人はほとんどいないだろう。しかし俺にはわかった。間違いなくカンプノウに導師さんがいた。しかしそのカメラが捉えた導師さんの表情には優勝の歓喜の笑みはなく、むしろ物憂気なものを浮かべていた。その表情は俺の脳裏からいつまでも離れなかった。

導師さんの指導が受けられないならばと、俺の気持ちは欧州に傾いていた。しかしその前にどうしても俺は導師さんにカンプノウでの表情の理由を確認しておきたかった。なぜなら俺が目指す最終地は彼処であり、あの瞬間なのだから。その場において物憂げな表情を浮かべていたのは導師さんを除いて誰一人としていない。その理由が気にならない訳がなく、それを知らないことには前に進めない気がした。
俺は導師さんに手紙を書いた。
自分が高校卒業と同時に欧州のクラブに行こうと思っていること
導師さんはカンプノウにいたのではないか
そしてその時の気持ちは如何ばかりのものだったのか



俺はバルセロナの下部組織に所属することにした。下部組織といっても日々が選抜のようなものでいつ他のクラブに出されてもおかしくない状況が続いていた。
精神的にも肉体的にも自分を擦り減らす日々が続き、自分の立ち位置が朧げに霞んでいくような毎日だった。
ある日の練習後、俺は仲間の誘いに応じる気にもなれず一人寮に戻った。ポストを開けた。スペイン語の地元のチラシに紛れて日本語で書かれた手紙が入っていた。
差出人を見ると、それはあの導師さんからだった。導師さんに俺から手紙を出したことすらすっかり忘れていたので、この手紙を手にしてもすぐには誰からの手紙かピンとこなかった。というよりも、日々の過酷な現実を前に導師さんとのことを顧みるような余裕がなかったといった方が正確であった。
なぜ今になって導師さんから手紙が、、、。
俺は訝しげに思いながらも封を切った。


「・・・私は2年ほど前にあなたから手紙を受け取りました。あなたが欧州にチャレンジしたいと決意したこと、私がカンプノウにいたのか、そして時の気持ちがどうだったのかとあなたは私にお尋ねになりました。
私は何度もあなたに連絡しようと試みました。しかしそれはまだ時期尚早だと思ったのです。あなたが手紙をくれたのは高校卒業を間近に控えた時でした。その時のあなたは期待と不安で胸がいっぱいだったでしょう。
つまりはまだまだこれからの時期であり、そしてまだまだあなたは蒼かった。
だからこそ私がすぐに手紙の返事をしたところであなたのこころには深く届かないと思いなかなか踏み切れなかったのです。
あなたのことは日本でも連日報道されています。厳しい状況のようですね。もしかしたらあなたにとって生まれて初めての挫折を抱えているのかもしれません。
しかし私はあなたがその壁を乗り越えられると信じて止みません。
そう思う根拠を今からお伝えします。
その為には私のことをあなたに正直にお話ししなければなりません。
その決心が私にはどうしてもつかなかったのです。でも今のあなたになら話してもいい。そう思えたのです。そして私のことを伝えることでカンプノウでの私の表情の理由もお分かりになると思います。

あなたは私の指導を仰ぎたいと幾度も私を訪ねてきました。
私は正直嬉しかった。と同時にとても怖かった。なぜなら私にはあなたがとても眩しく見えたから。
カバーニが私の教え子だということはあなたもご存知でしょう。メディアは私のことをカバーニを育てた名伯楽のように報じます。
しかしそうではありません。私はただ目の前にある眩しいばかりの原石を磨いただけ。本当にそれだけなのです。
ではその原石に私はどうやって出会ったのか。
私は今はトレーナーをしておりますが、その前はJリーグができる前の前身である実業団に所属しサッカー選手として活動しておりました。その実業団にかつて共に所属していた友人がいました。ライバルであり唯一無二の親友でした。ここではその友人のことをTと呼ぶことにいたしましょう。
Tは誰よりも真面目で熱心に練習に取り組む人でした。私は彼に多いに感化され彼に負けじと必死に練習しました。時には辛い練習に挫けそうになりながらも彼に支えられ乗り越えてきたのです。その時の必死の練習であったり強い想いが今に繋がっていると自負しています。つまりはTの存在なしには今の私はないのです。
その後実業団は解散し、今のJリーグがスタートしました。私とTは実業団の実績が買われ、しばらくはプロ選手として、その後はトレーナーとしてサッカーに携わりました。
お互い当初はJ1のクラブのトレーナーだったのですが、ある時Tの所属するクラブはJ2に降格し、気がつけばそのさらに下のJ3まで降格していました。
なかなか低迷から抜け出せず、またクラブの財政状況の悪化も相まって、Tもそのトレーナーとしての資質を問われるような事態になってきました。
Tは焦りました。
トレーナーとしての実力は確かなのですが、やはりサッカーには才能という大きなアドバンテージが必要です。才能があってこそトレーナーの資質が活きてくることは歴然とした事実なのです。
だからTは自分を活かすためにも才能という原石を求めてブラジルに赴いたのです。
そこで出会ったのです。今はまだ光りを内に秘めた原石を、、、。
それが、カバーニです。
彼は興奮気味に私に知らせるのです。
俺はすごいものに出会ってしまった。なんとしてでも俺の手で育ててみたい。
そこでTは私にお願いするのです。
J3の知名度ではなかなかブラジルからは来てくれない。そこでお前の力でなんとかカバーニを日本に呼んでもらえないだろうか。
頼む。
カバーニは俺が出会った中で一番の才能なんだ。だから育ててみたい。カバーニが花開けばきっと俺のクラブは変えられる。そしたらまたお前のクラブとも共に戦えるし、日本のサッカー界を盛り上げることだってできるんだ。
だから頼む。

他でもないTの頼みです。私はあらゆる手を尽くしました。
カバーニは日本に来られたことを喜んでいました。ブラジルのスラムにいたカバーニにとっては、それがJ3であろうがなんであろうが魅力的であることには変わりがありません。
しかし同時に私も見てしまったのです。
神が与えた才能というものを。
その魅力に私は取り憑かれてしまいました。
私は思ってしまったのです。
私の手でカバーニを育ててみたい、、、と。
悪魔の囁きでした。カバーニを見つけたのはTです。他でもない私の親友です。
その親友がある意味で自分の人生をかけて私にお願いしてきたものを私は奪ってでもものにしたいと思ってしまったのです。
でもカバーニにとっては私たちの関係など知るよしもありません。
カバーニにとってはより良い環境でサッカーができるに越したことはないのです。
私はTを差し置きカバーニを口説き落としました。そしてカバーニは私の所属するクラブに入団することを決意しました。
その後のカバーニの活躍はもはや説明するまでもないでしょう。

一方、Tのクラブは財政状況の悪化で廃部となりました。それからというもの私はTとは連絡をとっていません。私から連絡など取れるはずもありません。私は親友を裏切ったのですから。

カンプノウにてカバーニが決勝ゴールを決めた時、私は知人から連絡を受けました。
Tが死んだと。
どうやら死因は自殺だというのです。
私は才能に溺れてしまいました。親友を裏切ってまで。
Tはなぜ自殺したのでしょう。もちろん私にすべての責任はあるのです。しかし一方でTは私をどこまでも責めなかった。
普通ならば私の悪魔の所業とでもいうべき行動に対し、Tはいくらでも私の悪評を吹聴することができたはずなのです。そんな信義則違反を犯したことが世間に広まればトレーナーとして活動など続けられはずがないのです。
それどころかTは、カバーニの才能を開花させたアイツはすごい、とサッカー関係者に私のことを称賛してくれていたのだそうです。
そんなTの訃報をなんの因果かカバーニの決勝ゴールの直後に聞かされたのです。
私はTがどんな気持ちでこの世に別れを告げたのか、そんなことを考えながらカバーニの顔を追っていたのです。
Tは私を恨んでいたに違いない
いや、でもTはもしかしたらそれ以上にカバーニの成長に満足しこの世を去ったのかもしれない
でもTはもうこの世にはいません。だからいくら考えたところで答えなどわかろうはずがありません。
そんなことを考えていると私はカバーニの歓喜の顔を見ながらも物憂げな表情となっていたのだと思います。

いかがですか。今までの話を聞いてもあなたはまだ私に指導を仰ぎたいとお思いですか。

ここであなたにひとつお伝えしなくてはいけないことがあります。
それはなぜあなたのお願いを断り続けたかということです。
あなたは私から指導を仰ぎたいとおっしゃいました。
しかし私は断り続けました。
なぜか。

それは、私はあなたにカバーニ以上の可能性を感じたからです。

しかしその魔性の原石に手を出すといつかまた私は悪魔に魂を売ることになります。そうなればまたどこかで誰かを傷つける。
だからこそあなたという才能が怖いのです。
でも信じてください。
私とTの目に間違いはありません。それをカバーニが証明してくれているのです。
私があなたのことをカバーニ以上の原石だと認めているのです。
あなたは自分を信じて前だけを見なさい。
そしていつかカンプノウで私を笑顔にさせてください。

よろしくお願い申し上げます」


- 関連一覧ツリー (▼ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 返信フォーム (この記事に返信する場合は下記フォームから投稿して下さい)
おなまえ
Eメール
タイトル
メッセージ   手動改行 強制改行 図表モード
参照先
暗証キー (英数字で8文字以内)
  プレビュー

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No 暗証キー