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タイトル小説『原石』
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投稿日: 2020/01/18(Sat) 01:26
投稿者USA
小説『原石』

俺はある人を慕い尊敬していたからこそ、その人の下でなんとしてでも指導を受けたかった。だからこそ幾度となくアプローチをかけ、実際に面と向かっての直交渉を続けたがその人は最後まで首を縦に振らなかった。
俺はその人が自分のことを輝かしい未来に導いてくれる人と疑わなかったので、その人のことを「導師さん」とここでは呼ぶことにする。

導師さんはいわばサッカーのトレーナーとして神様だった。導師さんはJ1の優勝常連クラブに所属するトレーナーで、J1の優勝もさることながら数々の選手を同クラブから欧州へ送り出すことに貢献している。
俺は高校サッカー選手権で優勝し、MVPにも選ばれた。複数の有名クラブからも声がかかっておりそこには欧州クラブも含まれていて、自分で言うには憚られるが実力は折り紙付きだった。
クラブからの引き合いは後を絶たなかったが俺はどうしても導師さんの指導を仰ぎたかった。
それは導師さんがあるインタビューに応えていたことがきっかけだった。
「私は何もしていませんよ。ただ目の前にある輝かしい原石を磨いているだけです」
その謙虚な一言が導師さんの人柄を物語っているように俺は感じたし、事実として導師さんの指導の下、多くのサッカー選手が成功をその手に納めている。
そうであるならば、俺も導師さんから「原石」として認められ、ぜひ磨いてもらいたいと思うのは野心があるものならば当然の願いだろう。
導師さんからいい返事がもらえないということは、つまりは原石と見られていないに等しい。俺のプライドと心は期待が大きかった分だけ脆くも崩れかけていた。

導師さんから断られてからというもの、どうしていいかわからないまま、どこのクラブに所属するかなかなか決断がつかず高校を卒業するまでの時間を徒らに持て余していた。
俺は欧州クラブの中で特にバルセロナの大のファンであり、いづれバルセロナの一員としてプレーすることが小さい頃からの夢だった。
バルセロナの試合はほぼ欠かさず観ている。
だから今もこうしてテレビの前に釘付けになりバルセロナの試合を観戦していた。
中でもブラジル代表でもあるカバーニに目を向けていた。カバーニはかつてJリーグに所属しており、何を隠そう導師さんの愛弟子なのだ。
カバーニはJリーグで得点王になり、その実績が認められオランダ一部リーグのフェイエノールトに移籍した。移籍後2年目には同リーグでまたもや得点王に輝き、晴れてバルセロナから白羽の矢がたったのだ。
バルセロナでもその輝きはさらに増す一方だった。ブラジル人独特のリズムから生まれるドリブルを武器に得点を重ねているのだが、何よりもカバーニの人気を不動のものにしているのはその献身的な守備だった。
導師さんのサッカースタイルは好守の切替を要としており、ロストボールの後にいかにボールに詰め寄るかを徹底的に指導していた。ボールを奪われても自陣でボールを奪い返せば相手の攻撃の目を摘むと同時にすぐに攻撃に転ずることができる。ゆえにその作戦にはフォワードの守備意識が何よりも重要となるのだ。
カバーニの守備意識は導師さんの指導から芽生えたものに他ならず、カバーニは欧州に新しい風を芽吹かせ今やカバーニそのものが欧州サッカー界のスタイルを動かしているといっても過言ではなかった。

カバーニがチャンピオンズリーグで決勝点を決めた。両腕を天高らかに掲げ仲間と共に喜びを爆発させていた。バルセロナの本拠地カンプノウは地鳴りのように揺れていた。そんな大騒動とは裏腹にカバーニの視線はある方向に静かに向けられていた。カメラはその視線の先を捉えていた。
そして、その視線の先には、、、
あの導師さんがいた。
カメラに映っていたのは時間にしておよそ数秒だったので導師さんに気がついた人はほとんどいないだろう。しかし俺にはわかった。間違いなくカンプノウに導師さんがいた。しかしそのカメラが捉えた導師さんの表情には優勝の歓喜の笑みはなく、むしろ物憂気なものを浮かべていた。その表情は俺の脳裏からいつまでも離れなかった。

導師さんの指導が受けられないならばと、俺の気持ちは欧州に傾いていた。しかしその前にどうしても俺は導師さんにカンプノウでの表情の理由を確認しておきたかった。なぜなら俺が目指す最終地は彼処であり、あの瞬間なのだから。その場において物憂げな表情を浮かべていたのは導師さんを除いて誰一人としていない。その理由が気にならない訳がなく、それを知らないことには前に進めない気がした。
俺は導師さんに手紙を書いた。
自分が高校卒業と同時に欧州のクラブに行こうと思っていること
導師さんはカンプノウにいたのではないか
そしてその時の気持ちは如何ばかりのものだったのか



俺はバルセロナの下部組織に所属することにした。下部組織といっても日々が選抜のようなものでいつ他のクラブに出されてもおかしくない状況が続いていた。
精神的にも肉体的にも自分を擦り減らす日々が続き、自分の立ち位置が朧げに霞んでいくような毎日だった。
ある日の練習後、俺は仲間の誘いに応じる気にもなれず一人寮に戻った。ポストを開けた。スペイン語の地元のチラシに紛れて日本語で書かれた手紙が入っていた。
差出人を見ると、それはあの導師さんからだった。導師さんに俺から手紙を出したことすらすっかり忘れていたので、この手紙を手にしてもすぐには誰からの手紙かピンとこなかった。というよりも、日々の過酷な現実を前に導師さんとのことを顧みるような余裕がなかったといった方が正確であった。
なぜ今になって導師さんから手紙が、、、。
俺は訝しげに思いながらも封を切った。


「・・・私は2年ほど前にあなたから手紙を受け取りました。あなたが欧州にチャレンジしたいと決意したこと、私がカンプノウにいたのか、そして時の気持ちがどうだったのかとあなたは私にお尋ねになりました。
私は何度もあなたに連絡しようと試みました。しかしそれはまだ時期尚早だと思ったのです。あなたが手紙をくれたのは高校卒業を間近に控えた時でした。その時のあなたは期待と不安で胸がいっぱいだったでしょう。
つまりはまだまだこれからの時期であり、そしてまだまだあなたは蒼かった。
だからこそ私がすぐに手紙の返事をしたところであなたのこころには深く届かないと思いなかなか踏み切れなかったのです。
あなたのことは日本でも連日報道されています。厳しい状況のようですね。もしかしたらあなたにとって生まれて初めての挫折を抱えているのかもしれません。
しかし私はあなたがその壁を乗り越えられると信じて止みません。
そう思う根拠を今からお伝えします。
その為には私のことをあなたに正直にお話ししなければなりません。
その決心が私にはどうしてもつかなかったのです。でも今のあなたになら話してもいい。そう思えたのです。そして私のことを伝えることでカンプノウでの私の表情の理由もお分かりになると思います。

あなたは私の指導を仰ぎたいと幾度も私を訪ねてきました。
私は正直嬉しかった。と同時にとても怖かった。なぜなら私にはあなたがとても眩しく見えたから。
カバーニが私の教え子だということはあなたもご存知でしょう。メディアは私のことをカバーニを育てた名伯楽のように報じます。
しかしそうではありません。私はただ目の前にある眩しいばかりの原石を磨いただけ。本当にそれだけなのです。
ではその原石に私はどうやって出会ったのか。
私は今はトレーナーをしておりますが、その前はJリーグができる前の前身である実業団に所属しサッカー選手として活動しておりました。その実業団にかつて共に所属していた友人がいました。ライバルであり唯一無二の親友でした。ここではその友人のことをTと呼ぶことにいたしましょう。
Tは誰よりも真面目で熱心に練習に取り組む人でした。私は彼に多いに感化され彼に負けじと必死に練習しました。時には辛い練習に挫けそうになりながらも彼に支えられ乗り越えてきたのです。その時の必死の練習であったり強い想いが今に繋がっていると自負しています。つまりはTの存在なしには今の私はないのです。
その後実業団は解散し、今のJリーグがスタートしました。私とTは実業団の実績が買われ、しばらくはプロ選手として、その後はトレーナーとしてサッカーに携わりました。
お互い当初はJ1のクラブのトレーナーだったのですが、ある時Tの所属するクラブはJ2に降格し、気がつけばそのさらに下のJ3まで降格していました。
なかなか低迷から抜け出せず、またクラブの財政状況の悪化も相まって、Tもそのトレーナーとしての資質を問われるような事態になってきました。
Tは焦りました。
トレーナーとしての実力は確かなのですが、やはりサッカーには才能という大きなアドバンテージが必要です。才能があってこそトレーナーの資質が活きてくることは歴然とした事実なのです。
だからTは自分を活かすためにも才能という原石を求めてブラジルに赴いたのです。
そこで出会ったのです。今はまだ光りを内に秘めた原石を、、、。
それが、カバーニです。
彼は興奮気味に私に知らせるのです。
俺はすごいものに出会ってしまった。なんとしてでも俺の手で育ててみたい。
そこでTは私にお願いするのです。
J3の知名度ではなかなかブラジルからは来てくれない。そこでお前の力でなんとかカバーニを日本に呼んでもらえないだろうか。
頼む。
カバーニは俺が出会った中で一番の才能なんだ。だから育ててみたい。カバーニが花開けばきっと俺のクラブは変えられる。そしたらまたお前のクラブとも共に戦えるし、日本のサッカー界を盛り上げることだってできるんだ。
だから頼む。

他でもないTの頼みです。私はあらゆる手を尽くしました。
カバーニは日本に来られたことを喜んでいました。ブラジルのスラムにいたカバーニにとっては、それがJ3であろうがなんであろうが魅力的であることには変わりがありません。
しかし同時に私も見てしまったのです。
神が与えた才能というものを。
その魅力に私は取り憑かれてしまいました。
私は思ってしまったのです。
私の手でカバーニを育ててみたい、、、と。
悪魔の囁きでした。カバーニを見つけたのはTです。他でもない私の親友です。
その親友がある意味で自分の人生をかけて私にお願いしてきたものを私は奪ってでもものにしたいと思ってしまったのです。
でもカバーニにとっては私たちの関係など知るよしもありません。
カバーニにとってはより良い環境でサッカーができるに越したことはないのです。
私はTを差し置きカバーニを口説き落としました。そしてカバーニは私の所属するクラブに入団することを決意しました。
その後のカバーニの活躍はもはや説明するまでもないでしょう。

一方、Tのクラブは財政状況の悪化で廃部となりました。それからというもの私はTとは連絡をとっていません。私から連絡など取れるはずもありません。私は親友を裏切ったのですから。

カンプノウにてカバーニが決勝ゴールを決めた時、私は知人から連絡を受けました。
Tが死んだと。
どうやら死因は自殺だというのです。
私は才能に溺れてしまいました。親友を裏切ってまで。
Tはなぜ自殺したのでしょう。もちろん私にすべての責任はあるのです。しかし一方でTは私をどこまでも責めなかった。
普通ならば私の悪魔の所業とでもいうべき行動に対し、Tはいくらでも私の悪評を吹聴することができたはずなのです。そんな信義則違反を犯したことが世間に広まればトレーナーとして活動など続けられはずがないのです。
それどころかTは、カバーニの才能を開花させたアイツはすごい、とサッカー関係者に私のことを称賛してくれていたのだそうです。
そんなTの訃報をなんの因果かカバーニの決勝ゴールの直後に聞かされたのです。
私はTがどんな気持ちでこの世に別れを告げたのか、そんなことを考えながらカバーニの顔を追っていたのです。
Tは私を恨んでいたに違いない
いや、でもTはもしかしたらそれ以上にカバーニの成長に満足しこの世を去ったのかもしれない
でもTはもうこの世にはいません。だからいくら考えたところで答えなどわかろうはずがありません。
そんなことを考えていると私はカバーニの歓喜の顔を見ながらも物憂げな表情となっていたのだと思います。

いかがですか。今までの話を聞いてもあなたはまだ私に指導を仰ぎたいとお思いですか。

ここであなたにひとつお伝えしなくてはいけないことがあります。
それはなぜあなたのお願いを断り続けたかということです。
あなたは私から指導を仰ぎたいとおっしゃいました。
しかし私は断り続けました。
なぜか。

それは、私はあなたにカバーニ以上の可能性を感じたからです。

しかしその魔性の原石に手を出すといつかまた私は悪魔に魂を売ることになります。そうなればまたどこかで誰かを傷つける。
だからこそあなたという才能が怖いのです。
でも信じてください。
私とTの目に間違いはありません。それをカバーニが証明してくれているのです。
私があなたのことをカバーニ以上の原石だと認めているのです。
あなたは自分を信じて前だけを見なさい。
そしていつかカンプノウで私を笑顔にさせてください。

よろしくお願い申し上げます」

タイトルRe: 小説『先生』
記事No5106   [関連記事]
投稿日: 2020/01/17(Fri) 22:54
投稿者ようへい
USA様

今回の作品を読ませて頂いて私は、先生がまるで ソクラテス のような人だなあと感じました。

ソクラテスは、その生涯で名だたる書籍を残した訳でもない。
にも関わらず、無知の知は途方も無く有名なワードで、
ソクラテスの弁明も多くの人が知っている。

名著を残した先生も残していないソクラテスにも後世の人が影響を受けている。
世の中は本当に不確か、かつ面白いですよね。


ちなみに読書をする私なりの理由・・
読みたいから。ではだめですか?


奈良市在住 ようへい

タイトルRe: 史上最大のボロ儲け
記事No5105   [関連記事]
投稿日: 2020/01/17(Fri) 22:39
投稿者ようへい
USA様ありがとうございます。

サブプライムローンは返済能力の低い貧困層に貸し込んだ債権をまぜこぜにして証券化して売りさばくスキームだったと思いますが、
現在では企業の倒産を保証するクレジットデフォルトスワップやレバレッジドローンの混ぜ合わせのCLOなどの対象を個人から会社に移したかなりきわどい金融商品が世界にとんでもない額流通しているそうです。

その上、それらの多くを日本の金融機関が購入しているとの情報があります。

既にゼロ〜マイナス金利政策の影響もあり地銀の経営は厳しく、既に二行がSBIホールディングスの傘下にあります。

歴史は繰り返す。より激しく。より無慈悲に。

いつも私が考えているのは、明日貨幣価値がゼロになった時、自分の存在価値を客観性をもって提示できるかと言うことです。

奈良市在住 ようへい

タイトルRe: 妄想のすすめ
記事No5104   [関連記事]
投稿日: 2020/01/17(Fri) 22:27
投稿者ようへい
朝からパチンコ屋さんに並ぶようなパチンコ中毒でも、スマホのゲーム中毒でもない人は、その余裕ある時間で月に1冊でも本を読む習慣をつけるだけですでに8人に1人、それ以上読書してる人はすでに10人に1人の希少性があるのだから、みんな在学中に10人に1人になって、20代でまず100人に1人のレアカードを目指そう!

この低そうなハードルでさえ1/10希少性なんですね・・・

そういえば近所の客単価2000円は超えていそうな、いつも行列が絶えないトンカツ店の店長が
「やれることをやっているだけなんです。」と言っていたことと通じる物があると感じました。

奈良市在住 ようへい

タイトル史上最大のボロ儲け
記事No5103   [関連記事]
投稿日: 2020/01/17(Fri) 21:32
投稿者USA
『史上最大のボロ儲け』(阪急コミュニケーションズ)グレゴリー・ザッカーマン

サブプライムローンに端を発した金融恐慌はまだ皆さまの記憶に新しいと思いますが、そんな最中にボロ儲けをした人物が他ならぬこの本の著者でございます。
ローンとは銀行が本来厳重な審査を行い組まれるものです。しかし住宅市場が加熱するに従って貸し手側は充分な審査を行うことなくローンを提供しました。好調な住宅市場を背景に証券会社は住宅ローンを証券化し高利回りを謳い文句にガンガン市場に証券を売りまくります。
しかしその証券の中にはほとんど審査など受けずにローンを組んだ借り手が含まれているので、金利が上がった瞬間に借り手は返済出来なくなり、証券はただの紙切れとなるのです。
でも時はバブルです。誰もが住宅と証券の価値が上がり続けることに疑問すら抱かずサブプライムローンを組み、そしてその証券を購入します。
その異常ともいえる状況にいち早く目をつけた著者は証券が焦げ付いたときに支払保証をする商品を安値のうちに買い叩きます。
そしていざバブルが弾けた瞬間に大儲けをした、といったノンフィクションです。

生き馬の目を抜くとはまさにこのことでしょう。しかしこの本は多くの示唆に富んでいると思います。周りに流されている時は安心ですが、実はその時にはすでに危機に直面しているのかもしれません。
何か大きいことを成し遂げようとすれば他と同じことをしていてはダメということなのかも。

『本を読む人だけが手にするもの(ノンフィクション編)』自薦または他薦50冊のうち7冊目

タイトル妄想のすすめ
記事No5102   [関連記事]
投稿日: 2020/01/13(Mon) 08:36
投稿者カズ
> そのあたりを語り合いたくて、夏目漱石と僕が夢の中で語り合うという妄想小説を作ってしまいました。

 これ、ドンドンやったほうがいいです。
 妄想というのはイマジネーションの訓練ですから、脳の中でドンドン(別々の場所に記憶されている要素が)つながり始めます。

 「つなげる力」=情報編集力ですからね。

 先週土曜日に近畿大学でやった就活キックオフイベントの基調講演でも、1000人以上の学生や先生たちを前に「電車に乗ると即スマホ出してネットゲームしてるようじゃもうダメ。就活中からそれやめて、いろいろ頭の中で妄想したほうがいい。あと、朝からパチンコ屋さんに並ぶようなパチンコ中毒でも、スマホのゲーム中毒でもない人は、その余裕ある時間で月に1冊でも本を読む習慣をつけるだけですでに8人に1人、それ以上読書してる人はすでに10人に1人の希少性があるのだから、みんな在学中に10人に1人になって、20代でまず100人に1人のレアカードを目指そう!」と話しておきました。

タイトルRe: 読みました。
記事No5101   [関連記事]
投稿日: 2020/01/13(Mon) 00:16
投稿者USA
> > 『あすなろ物語』(新潮文庫)井上靖
>

>  私が生まれる前、1954年に描かれた物語にもかかわらず、十分に現代的なテーマですよね。

そうなんですよね。古典が現代でも読み継がれる理由はまさにここに尽きると思います。
だからこそこの古典チャレンジはぜひ皆さまにもチャレンジしていただく価値があると僕は思います。
特に人生経験を重ねた30代以上の方にオススメです。10代20代では古典の小説に描かれていることはいくら文学的に価値があっても読んでもあまりピンとこないのではないでしょうか。


>  戦争の廃虚で「明日なろう」が一旦完膚なきまでに破壊尽くされたのちに立ち上がってくる、雑草のような人々の「明日なろう」にもこころが動きましたが、物語の中に登場する6人の女性と主人公との関係が、折り重なるように6者6様に描かれていて、この小説の奥行きを増しているような気がしました。

やはり戦争はこの頃の小説には切っても切り離せないと思います。自分の意志ではどうしようもない戦争という現実があり、また表現できる内容にも大いに制約がある状況下だったからこそ、そもそも人間とはなんなのかと深く深く追求していったのではないのかなと僕は勝手ながらに想像したりもしました。
そのあたりを語り合いたくて、夏目漱石と僕が夢の中で語り合うという妄想小説を作ってしまいました。

タイトル読みました。
記事No5100   [関連記事]
投稿日: 2020/01/12(Sun) 09:01
投稿者カズ
> 『あすなろ物語』(新潮文庫)井上靖

 明日は何者かになろうと夢見ながら、まだ何者にもなれないでいるもどかしさ。
 私が生まれる前、1954年に描かれた物語にもかかわらず、十分に現代的なテーマですよね。

 戦争の廃虚で「明日なろう」が一旦完膚なきまでに破壊尽くされたのちに立ち上がってくる、雑草のような人々の「明日なろう」にもこころが動きましたが、物語の中に登場する6人の女性と主人公との関係が、折り重なるように6者6様に描かれていて、この小説の奥行きを増しているような気がしました。
 

タイトル小説『先生』
記事No5099   [関連記事]
投稿日: 2020/01/11(Sat) 02:50
投稿者USA
小説『先生』

私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
私は先生のある小説を読んだ。それは今から遡ることおよそ100年前に書かれたものだ。
私はただ茫然とするより他なかった。それは現代に生きる私が読んでも決して色褪せることなく、いやむしろその色は嬉々として鮮やかにそして眩しく映った。
私はどうしても先生に会いたくなった。そして先生の作品についてどうしても語りあいたくなった。私はそっと瞼を閉じる。その瞼の裏にある暗闇の向こうから色鮮やかに先生は現れた。
私は誘われるかのようにその暗闇へと向かっていった。


「先生、やはり先生なのですね」
私は私が思い描く先生を前に諭すように問いかけた。
「あなたがそう思うのならそれに任せなさい。何も気負うことなどありません」
やはりそれは確かに先生だった。どこか突き放したようでいて、しかし付かず離れずの絶妙な間隔で側にいてくれるような優しさと温もりを感じ得た。
「私は先生のある小説を読んでどうしても先生とお話をしてみたくなったのです」
「あなたは御自身がかなりの無茶を仰ってることにお気づきになっていますか。私はとうの昔にこの世にはいないのですよ。何よりあなたはどこから、というのも変な話ですがいつの時代から御出でになられたのですか」
「いつの時代、ですか。私が此処にきたのは西暦でいうところの2020年です。そして偶然にもその前年は令和元年なのです。令和と言われても先生にはピンときませんよね。先生がお亡くなりなられたのは大正だと存じますが、大正から昭和、平成を経て令和となったのです。平成天皇は崩御されたのではなく退位後上皇となられたのです」
平素冷静な先生だが、元号が三代も推移した先から私が現れたことに先生の表情には些かの動きが見られた。
「そうなのですね。それは驚きました。100年先からと言われてもあまり私にはしっくりとこないのですが、元号での経緯を踏まえられるとなんとも現実味を増すと言いますか、もちろん此処は現実などではないのだけれども、私とあなただけの特別な世界なのだけれども、私にもどこか心が通ずるような気がいたしました。
しかしそんな先の未来からお越しなったということは、私が書いた小説なるものはあなたが生きる現代でもまだ読み継がれているということなのでしょうか」
「ええ、仰るとおりです。そして私が先生とお話したいと思っていたのもまさにその点にあるのです。先生の作品は先生の死後もあらゆる世代に受け継がれながら色褪せることなく読み継がれています。これは紛れもない事実であり、途方もない軌跡であり奇跡なのです。どうして先生はそのような偉業を成し得たのでしょうか」
私は確かに先生を感じ得た興奮からか、呼吸をおかずに言葉を紡いでいた。
「おやおや、あなたは可笑しなことを仰いますね。あなたは偉業と言いますが、偉業も何も私の作品が読み継がれたかどうかは私がこの世から離れた後の話ではありませんか。それにあなたが生きる現代の方々にとって私がどのような評価を得ているかなど私にはついぞ分かりえないことですよ」
「先生の評価は誰もが疑うところではございません。何世代にも渡って読み継がれているという事実が何よりの証拠です。だからこそ私は100年もの後の世界からこうして先生の前に現れたのです。
そして先生、私がお聞きしたいのはそこなのです。なぜ先生はそのような作品を世に生み出すことができたのでしょう。どのような心持ちで作品と向き合っていらっしゃったのか。ぜひともお聞かせ願いたいのです」
「心持ちとはいい表現ですね。心持ちという意味では何も私は持ち得ていませんよ。ただ我が思うがままに描いただけなのですから」
私はある程度予測していた言葉が先生の口から出たために少し寂しさを感じた。
「何も持ち得ずしてなぜあのような小説が書けるのでしょうか。やはり才能が成し得るということに尽きるのでしょうか」
「そうではありません。私に才能などあるのでしょうか。そんなことは当の本人ですら分かりえないことです。私がお伝えしたいことは才能の有無であるとかそういうことではないのです」
「才能でなくてなんなのでしょうか。先生の作品はどこにも古さを感じさせない。だからこそ普遍性があり、時代を経たとしてもなお新しく感じるのです」
先生は私の悲壮感にも似た表情を前に少し表情を硬くした。
「古さですか。確かに私の作品には古さという意味では時代に流されるものではないのかもしれません。なぜなら私が作品で描いているのは、人、だからですよ」
「人、ですか」
「そうです。人です。だからこそ人に古いも新しいもないのです」
先生から見た私の表情は悲壮感から疑念を帯びたもの映ったに違いない。
「人と言われましても、私には先生の意図がわからないのですが、、、」
「つまり、私には、人のことがわからないのです。小説にも書きましたが、私は叔父に騙されました。そのことが原因で酷く神経症に悩まされたのです。しかし人が信じられないと言いながらも人の愛に溺れたのです。そのことがさらに私にとって人というものをわからなくさせました。わからないものはわからないのです。しかしわからないからこそ描くのです。あなたにはその意味がわかりますか」
私の頭の中、いや私は今瞼を閉じた世界にいるので今はさながら夢の中だということだと思うが、何れにしても先生の言葉に私は大いに混乱していた。
「逆に私からあなたにお聞きしたいのですが、なぜあなたは私の小説を読んだのですか」
「私は現在40歳を目前としています。正直申し上げると先生の作品を読み出したのはごく最近なのです。それがなぜだと言われても、、、」
「そこをよくお考えなさい。そこにあなたが求める答えはあるように私は思いますよ」
先生にそう諭され、少し私は冷静を取り戻した。
なぜ先生の作品を読むに至ったのか。小さい頃には読まなかったのに、なぜ今になって、、、。なぜ今?
「あなたは40歳を目前にしていると言いましたね。もし私の作品が読み継がれているというのならなぜあなたは40歳になるまで私の作品を読まなかったのですか」
「いや、おそらく私が小学生くらいの頃には先生の作品に出会っていたはずです。そして読んではいたと思いますが、恥ずかしながらあまり記憶には残っていませんでした」
「それはそうですよ。なかなか小学生くらいの頃合いで私の作品を理解することは難しいでしょう。それはある意味では当然だと思います。なぜならまだ若過ぎるからです。すべてにおいてまだ世間というものが見えていないのです。そのような中で私の作品を理解しようにもそれは些か無理があるように私は思います。
あなたは小さい頃から本を読む方だったのですか」
「そうではありません。きっかけと言えば自分の子供が生まれたことがきっかけなのです。そこで自分の人生を見つめ直す機会があり、それを契機として本を、そして小説を読むようになりました」
「その機会を得てからどれくらい本を読むようになったのですか」
「年に100冊ほどでしょうか」
「年に100冊ですか。それを何年ほど続けているのですか」
「4年ほどになると思いますが、、、」
「それだけ本を読んでいて、読んでいる過程でなぜそもそも本を読んでいるか疑問に思うことはありませんか。本が面白いということだけではなかなか続けられることではないように私は思うのですが」
先生の問いかけに私は考えた。考えたというよりも自分自身に問いかけた。確かに本を読むことにどんな意味があるのだろうか。あらためて問われるとその答えは考えてもわからない。しかし確かなことがひとつだけある。
それはなぜだか理由はわからないが本を読み続けているという事実だ。
私はその瞬間はっとした。身体に電流が駆け巡ったかのような衝撃だった。
先生は私の異変に気がついたのか、それでも私の口から出る言葉を丁寧に、そして優しく待っていた。
「私はなぜ本を読み続けているのか、正直その理由はわかりません。ただ事実としてそれを続けています。世の中にはわからないことだらけで、何をすることが正しくて正しくないのか、それすらもわかりません。仮に正しいと思って行った行為が自分が意図する様には他者に受け入れられないことだって多々あります。そんなことに雁字搦めになっているとやがて身動きが取れなくなります。窮屈なのです。そんなわからなくて不確かな世界の中でも何かできることと言えば、自分の意思で続けることだけだと思うのです。だから私は本を読むことその行為自体に、自分の明確な意思を持って行っているという事実に重きを置いているのかもしれません」
「そうですよ。私もあなたと同じです。あなたは私の作品が世に語り継がれていると仰いましたが、そんなものは結果であって偶然の産物に過ぎません。いくら私が世に出たいと願っても、必ずしもそれを世が受け入れてくれる保証などどこにもありません。そんな不確かな世界で私ができること、それは描くことです。
先程も言いましたが、私には最後まで人というものがどういったものであるかといった答えはついぞ知り得ませんでした。
仮に知り得たと思えた感覚を掴んだとしても、瞬きの間にその感覚は掌から零れ落ちてしまうものなのです。
でも零れ落ちて形に残るようなものではないからこそ、私は自分が思うがままに人を描くのです。逆説的にいうと描くことしかできないのです。描いて描いて深く描くからこそ、もしかしたらそれが深く人々の心に響くのかも知れません。
私の世代のものたちは常にそばに戦争がありました。だからこそ独特の厭世観と言いますか、死生観が付いて回っていました。
自分では抗えない背景が常に身近にあるからこそ、できること、つまりは深く深く描き切ることをしていたのだと思います。
もし私たち世代の作品があなた方に今もまだ受け入れられているのであるとしたら、私たちは少し面映い気は致しますが、それはそれで命を賭けた甲斐があるというものです。
話が長くなりましたね。少し私も疲れてきました。でもこうしてあなたに会えて良かった。またいつかお会いできることを心待ちにしていますよ」

先生が瞼の裏から消えた時、私は目を開け横をそっと振り向いた。そこには静かに寝息を立てる息子があり、この息子のおかげで先生に会うことができたのかなと微笑を浮かべたのだった。

タイトルこころ
記事No5098   [関連記事]
投稿日: 2020/01/11(Sat) 02:49
投稿者USA
『こころ』(新潮文庫)夏目漱石

ちょっとこの作品を読んでかなりの衝撃を受けたので、少し様変わりの小説『先生』を作ってみました。

『本を読む人だけが手にするもの(古典編)』自薦または他薦50冊のうち7冊目の書評