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新着記事

タイトルRe: 最近の本
記事No5043   [関連記事]
投稿日: 2019/11/13(Wed) 06:18
投稿者カズ

> 学校で勤めていて本当に国語だなと何度思ったことか

 群馬のアカデミーで会った英検1級トップの女性の言葉、「自分が日本語でしゃべれる以上の英語は話せないですよ」を思い出します。
 日本語で積み上げた教養を超えて、英語が話せるようにはならないという意味です。

 なぜなら、英語は思いや考えの伝達手段だから。

 でも、一方で、英語の思考回路を身につけると「結論を先に言って、あとから理由を整理して述べる」(Yes or No, because Firstly, Secondly・・・)話法ができるようになります。
 これは、論理的思考を養成することにもなりますよね。

 私は、バイリンガルにペラペラ喋れるようになるかどうかよりも、この2つの思考法を身につけることの方が大きいと考えています。

タイトル最近の本
記事No5042   [関連記事]
投稿日: 2019/11/12(Tue) 21:38
投稿者けいこ
お久しぶりです
今年に入って藤原先生の講演を聞きに行けて良かったなと思っています
関西大学のカフェのある会場でした

今 世界と英語と日本人 という本(宇津木愛子著)を読んでいます
英語好きなので面白いです

発音や正しい文法は必要だけど、話す中身の大切さでしょうか?
言い古されたことですが読んでいてスッキリします
日本語を大切にしなければと思う次第です
学校で勤めていて本当に国語だなと何度思ったことか
読み進めていくうちにスッキリして来たので全部読むのがもったいなくなってきました
またどこかの会場でお会いしたいと思います

タイトルRe^3: インスピレーション童話『夢に活きる』
記事No5041   [関連記事]
投稿日: 2019/11/11(Mon) 23:00
投稿者ようへい
仕事関係の書物ばかり読みあさっていましたが、
USA様のチャレンジに魅せられて廃校先生を読んだり
将棋の子を購入してみたり私も変化しています。
USA様の行動の副次的影響が奈良まで及んでいます。笑

奈良市在住 ようへい

タイトルRe^2: インスピレーション童話『夢に活きる』
記事No5040   [関連記事]
投稿日: 2019/11/11(Mon) 19:16
投稿者USA
> 親としての究極の幸せは子供が自分が成し遂げたい夢(目標・高み)に出会うことだと思います。
>
> 非常に賛同できるお母さんの意見です。


ようへい様
いつもご丁寧なコメントをいただきありがとうございます。
『将棋の子』に成田さんという人物が登場します。
ノンフィクションなので実在の人物なのですが、その人生がとてつもなくハードなのです。借金に借金を重ねる生活なのでそれに振り回される当事者からすればたまったものではないと思います。
しかしそれをいったん差し置いて考えれば、成田さんと成田さんのお母さんの愛はどこまでも純粋なのだと思います。だからこそ読者はその純粋さに胸を打たれるのだと思います。
今、成田さんはどうしているのかな?元気でいてくれたらいいのにな。そんな思いに駆られます。

タイトルRe: インスピレーション童話『夢に活きる』
記事No5039   [関連記事]
投稿日: 2019/11/11(Mon) 11:00
投稿者ようへい
USA様

親としての究極の幸せは子供が自分が成し遂げたい夢(目標・高み)に出会うことだと思います。

非常に賛同できるお母さんの意見です。

ありがとうございました。

奈良市在住 ようへい

タイトルRe: インスピレーション童話『笑顔』
記事No5038   [関連記事]
投稿日: 2019/11/11(Mon) 10:57
投稿者ようへい
USA様

いつもありがとうございます。

読書によって多くの人生経験を疑似体験することで、感情・論理などが複雑に変化して行ってる結果なのではないでしょうか。
ジャンルを変えて読書をドンドン進めていけば皆同じような感覚に収束していくのか。そうならないのか。
壮大なトライアルだと思います。
引き続きよろしくお願いいたします。

奈良市在住 ようへい

タイトルインスピレーション童話『夢に活きる』
記事No5037   [関連記事]
投稿日: 2019/11/09(Sat) 20:21
投稿者USA
僕は小さい頃から誰よりも車が好きだった。
僕は生まれた時から足が悪かったから、いつもお母さんが車でいろんなところに連れて行ってくれたんだ。
僕は足が悪いから自分で運転することはできないけれど、いつか僕は自分が運転しなくても勝手に動いてくれる車を発明するんだ。
その車に僕のお母さんを乗せてあげてうんと遠くまでつれていってあげる。
それが僕の夢。

僕のおうちはお金持ちじゃなかった。だけど僕は僕の夢のためにたくさん勉強がしたかったから、そのお金のためにお母さんは朝から晩までいしょうけんめいに働いてくれた。
僕は車のことをもっとよく知るためにアメリカにいたんだ。
そのときだった。
お知らせがとどいた。
お母さんが倒れた、と。
とてもいっしょうけんめい働いたからお母さんは疲れちゃって、そして、もうすぐ死んじゃうって。
僕はあたまが真っ白になった。
僕は少しでもはやくお母さんのところに帰ろうと思った。
そしたら手紙が1枚僕に届いた。お母さんからだった。

こうすけへ
「あなたが楽しそうに嬉しそうに夢の車を追いかけていることがお母さんはとても嬉しかったよ。あなたはいつも足が悪いことが嫌で、そのことが嫌で仕方なくて、小さいころはいつも暗かったの。あなたが暗いことはお母さんが悪いんだって、そう思ってしまって、お母さんもとても苦しかった。でもあなたが車に乗っているときだけはとても楽しそうで、笑顔で。そしてあるとき、あなたはこう言ってくれたの。
いつかお母さんを僕が発明した車でどこでも連れていってあげる、って。
そういってくれたとき、お母さんは涙が止まらなかったのよ。その嬉しさにくらべたら、お母さん、働くことなんてちっともつらくなんかなかった。
お母さんは倒れちゃったけど、こうすけ、このことはあなたのせいでもなんでもないのよ。だからあなたはアメリカにいて夢を追いかけなさい。帰ってきちゃダメよ。
こうすけ、ありがとう。
お母さんはあなたのおかげで生きる力をもらいました。ずっと愛してる。」

(著者あとがき)
この童話は「将棋の子」からインスピレーションをもらいました。
この童話に少しでも興味をお持ちいただけたらぜひ「将棋の子」をお読みいただけたらと思います。

タイトルインスピレーション童話『笑顔』
記事No5035   [関連記事]
投稿日: 2019/11/07(Thu) 22:49
投稿者USA
僕はね、お母さんが何人かいたんだ。
小さい頃の僕はそれが当たり前だと思っていたから、ちっとも不思議なんかじゃなかった。
優しいお母さんもいたし、ちっとも優しくないお母さんもいたよ。
だからなのかな。僕は子供の頃から上手に笑うことができなくてね。僕自身が上手に笑えない分、誰かの笑顔をみることがとても好きだったの。
だから大きくなったら人を笑顔にできることをしたいなってずっと思っていたんだ。
ほんとにそのことだけを考えてた。
僕が作った会社はどんどん大きくなったんだ。僕の会社で働く人もみんな笑顔だったから、会社が大きくなればもっともっと笑顔が見られると思って頑張ったんだよ。
僕はもっともっと笑顔がみたいと思って、僕によくしてくれる人にお金をあげることにしたんだ。
そしたらね、そんなことをするのはよくないことだよ、って僕をしかる人が出てきたんだ。
僕はね、ただ笑顔が見たかっただけなのに、それはいけないことだと言われたからね、もう何がなんだかわからなくなっちゃった。
気がつけば僕のまわりには誰もいなくなっちゃった。
僕は結局こころの底から笑うっていうことがどういうことかわからなかった。
まわりから誰もいなくなっちゃって、今までの僕はなんだったんだろうと思ってさ。
そしたらさ、そのことがおかしくなってさ。
おかしくっておかしくって、もう笑いが止まらなくなってさ。
あぁ、そうか。これが「笑う」ってことなのかってようやく気づいたんだ。
でもこれが笑うってことならちっとも嬉しくないな。僕のまわりで笑っていた人たちはこんな気持ちで笑っていたのかな。
なんだか違う気がする。
でももういいや。ちょっと眠くなったから眠ることにするよ。
夢の中では上手く笑えるかな。


(著者あとがき)
ノンフィクションと古典を読んでいて、僕の心と脳にはすでに様々な感情が入り組んでいます。その感情をストレートに表現したいと思い、あえて童話風にしてみました。
今回の作品は主に『江副浩正』と『人間失格』をもとにインスピレーションされた作品です。
やはりノンフィクションと古典は心にズシリときます。

タイトル作者の感性を想像しながら味わう至高の428ページ「廃校先生」
記事No5033   [関連記事]
投稿日: 2019/11/05(Tue) 21:36
投稿者ようへい
久々に小説というジャンルの書物を読みました。
今回の小説は、ある特殊な環境下で読むことが出来ました。それは、作者の方とお話しする機会があった後に作品を読み始めるという特殊な環境です。
実は、このような環境は私にとっては、「よのなかフォーラム」でUSA様の小説をそのような形で経験させて頂いているのですが、一般的には希少な形だと思います。

読ませいて頂いたのは浜口倫太郎様の「廃校先生」です。
本作品では奈良県南部にある日本最大の村(北方領土を入れると5番目)十津川村のとある廃校が決まった小学校の最後の365日を個性豊かな児童達とその家族、地方ならではの地域の人々、そしてその学校の教師達の事を中心に丁寧に描かれています。奈良県民の私にとって時折出てくる地域名称(谷瀬の吊り橋、五条、新宮などなど・・)も近くで勤務していた経験もあって、それだけで感慨深いワードのオンパレードでした。

また登場する教師の描写は特に精緻に作り込まれているのですが、物語のキーとなる6年生の担任は作者が仲良しの「スマイルのよしたか」という芸人の方をモチーフにされたそうです。https://www.youtube.com/watch?v=bFvTWHq5vNE
私はテレビをほとんど見ないため、読了後にスマイルのよしたかさんをyou tubeで確認したのですが、
作品を読んでいる中で私がイメージしていたyou tuberのかずさん
https://www.youtube.com/watch?v=cepuxdpw_CU とあまりに雰囲気が似ているため驚きました。笑
そして登場人物の背景における細やかなディテールのみならず文庫本のカバー自体がこの物語において大きな意味を持ち合わせていることも秀逸です。

作者は、公式ブログ(http://rintarou.info/)の中で堀江さん(ほりえもん)がいらないと言っているものは、ドラマの要素になりやすいものばかりだとコメントされていて、今回の作品を読み終わって非常に納得しました。そもそも、私は奈良の片田舎出身ではありますが、卒業時の同級生は140人程度いたので、過疎の限界集落の学校が懐かしいと感じる事はいささか可笑しいはずなのに、なぜか過疎の田舎の廃校となる学校にノスタルジーを感じるのです。考えてみれば私は真田幸村が大好きで、負ける定めであったとしても豊臣方に加勢し露と消える儚さに魅了されてきました。「儚さ」は気持ちを揺さぶります。

作者がこの作品で描きたかったのは、まさにタイトルにあるとおりで
平易に言うならば学校というハードとその中で働くソフトとしての先生とうことになります。
学校のイメージも先生のイメージも学校に通ったことのある全ての人々がそれぞれのイメージを持っている中で、作者がどのようにそれを表現するのか。私はこの作品を読み進める上でその点が最も興味深かったのです。熱血先生も泣き虫先生もヤンキー先生も自分が生徒だったらさぞかしうっとうしいだろうなと感じている筋金入りの学校嫌いである作者がどのように表現するのか。
そういう視点でこの物語を読み終えました。

現代の教育現場では生徒からの評価と生徒学力を日々客観的な数値として給与や解雇含めて評価され続けている塾の講師と目の前の生身の学校の先生で教科の得点力を上げるという土俵では全く勝負にならないことは小学生でも理解しています。ネット技術の進化によって塾講師の中のtop of top講師の授業がオンラインでいつでもどこでも聴講出来るようになっています。さらには教育へのAIの進化応用によって各生徒の未達項目が瞬時に判断されて必要な範囲の必要な量の勉強が個々に最も適切に供給されるようになれば、もはや現状の生身の教師1対多数の生徒という授業形式(たとえそれが1対5程度でも)では試験の得点力という尺度では生身の教師はますます勝負にならないと思います。

私は中学受験組でしたので、高学年の頃には授業内容に対するリスペクトは担任に対しては全くありませんでした。しかし、私の人生で一人恩師をあげるとしたら今でもその担任の先生です。
作者と私では学校や先生に対する捉え方はおそらくずいぶん異なると思いますが、廃校先生における「よし先生」の生き様、つまり作者が先生に求めるものと自分が先生に求めるものは完全に一致していたのです。
言葉にするとあまりにもありきたりで陳腐な言葉かもしれませんが、結局は「生徒への愛情」に他なりません。
この作品を読み終えて、考え方も生き方も異なる人間の憧れる「先生像」が一致したことで大きな安堵感を得られました。
なぜか思い出すサンボマスターの名曲の「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」
の一説を思い出しました。
新しい日々を変えるのはいじらしい程の愛なのさ・・・やはり愛でした!


最後に作者の浜口倫太郎様の公式ブログの記事はどれも視点が秀逸なので再度リンクを張らせて頂きます。http://rintarou.info/?p=12

そして締めは、自称日本初の書評の書評家(笑)として藤原先生の廃校先生の書評について一言。
若草山からの夜景について、補足です。

奈良の夜景で有名なのは目映いばかりの光あふれる大阪平野を一望にできる生駒山かもしれんけど、それは大阪の夜景であって奈良の夜景やない。
奈良自体を見渡せる奈良の夜景はこの若草山なんや。
光が乏しくても、その乏しい光に思い出があって、風の薫りと木々のざわめきを感じるこの夜景は(奈良の人間の場合)俺にとって特別な場所や。

この言葉を添えて若草山の夜景に麗しの彼女をお連れ申し上げれば、良い雰囲気になること請け合いです。(※自己の経験では検証済みですが100%の断言は致しかねます。笑)

長文すいません!!

奈良市在住 ようへい

タイトルRe: 将棋の子
記事No5032   [関連記事]
投稿日: 2019/11/05(Tue) 15:05
投稿者ようへい
USA様  いつもありがとうございます。

> 僕には突出した才能はありません。でもそれは実は幸福なことなのかもしれません。
→中途半端な才能で身を滅ぼすことはあるのかもしれませんが、内よりある方良いと私は考えています。自分の能力が業界水準でどの位置にあるのか見失わないという条件で。

> そう思えてしまうほどプロの世界は厳しいものだと思い知らされます。
→好きなことを仕事にする。好きなことだけで生きていく。
 これを実行する場合、その業界がレッドオーシャンか。ブルーオーシャンか。難易度はどうか。などのリサーチが非常に大切とは思いますが、スポーツアスリート、芸人、アイドルや将棋・囲碁の世界は熾烈そうです・・
>

> 天才と称される子供たちが棋士になろうと将棋連盟の「奨励会」に集います。将棋の天才達が凌ぎを削るわけですがそこにはルールがあります。それはある年齢までに4段まで昇段しなければ奨励会から退会する、というルールです。つまり20代半ばにして多くの棋士がプロの道を強制的に絶たれるわけです。

満21歳(2002年度以前の奨励会試験合格者においては満23歳)の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を迎える三段リーグ終了までに四段に昇段できなかった者は退会となる。
上はwikipediaでの奨励会の年齢制限ですが、逆にこのルールによってその先の人生が救われる方も沢山いると私は思うので、厳しくも優しいルールだと思います。


> 今まで将棋でしか生きてこなかった人間がその道を絶たれた時、どのような道を彼らは歩むのでしょうか。そこにはどこまで厳しい現実が待っています。
→今まで野球しかしてこなかった、今まで勉強しかしてこなかった、今までプログラミングしかしてこなかった。。。
様々な今まで○○しかしてこなかった・・・は確かにあります。
しかし、実際は、全ての人が○○ししてこなかったわけでは無く、○○以外の部分が実はその後の人生に大切なんだろうと思います。

イチローや野村元監督、落合元監督のコメントは哲学者よりも哲学者らしく、元ロッテの里崎選手や元巨人の笠原選手のyou tubeは非常に面白かったりと・・日々の積み重ねは小さく見えても同じ事だけしている訳ではないのでしょうか。

それでもプロの将棋の世界は、特にその頂への道のりが果てしなく遠く、将棋自体が人生に例えられたりする背景には、多くの挫折していく天才達の物語があることは間違いないと私も思います。

最後に将棋に関する記事で私が最も感動した記事をリンクしておきますので是非一度ご一読下さい。
涙無しには読めません。

泥にまみれた塚田九段が譲れなかったもの -『将棋電王戦』第四局 "棋士の意地"すら超えた、勝負への壮絶な執念
https://news.mynavi.jp/article/20130417-denousen/

奈良市在住 ようへい