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タイトル小説『先生』
記事No5099
投稿日: 2020/01/11(Sat) 02:50
投稿者USA
小説『先生』

私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
私は先生のある小説を読んだ。それは今から遡ることおよそ100年前に書かれたものだ。
私はただ茫然とするより他なかった。それは現代に生きる私が読んでも決して色褪せることなく、いやむしろその色は嬉々として鮮やかにそして眩しく映った。
私はどうしても先生に会いたくなった。そして先生の作品についてどうしても語りあいたくなった。私はそっと瞼を閉じる。その瞼の裏にある暗闇の向こうから色鮮やかに先生は現れた。
私は誘われるかのようにその暗闇へと向かっていった。


「先生、やはり先生なのですね」
私は私が思い描く先生を前に諭すように問いかけた。
「あなたがそう思うのならそれに任せなさい。何も気負うことなどありません」
やはりそれは確かに先生だった。どこか突き放したようでいて、しかし付かず離れずの絶妙な間隔で側にいてくれるような優しさと温もりを感じ得た。
「私は先生のある小説を読んでどうしても先生とお話をしてみたくなったのです」
「あなたは御自身がかなりの無茶を仰ってることにお気づきになっていますか。私はとうの昔にこの世にはいないのですよ。何よりあなたはどこから、というのも変な話ですがいつの時代から御出でになられたのですか」
「いつの時代、ですか。私が此処にきたのは西暦でいうところの2020年です。そして偶然にもその前年は令和元年なのです。令和と言われても先生にはピンときませんよね。先生がお亡くなりなられたのは大正だと存じますが、大正から昭和、平成を経て令和となったのです。平成天皇は崩御されたのではなく退位後上皇となられたのです」
平素冷静な先生だが、元号が三代も推移した先から私が現れたことに先生の表情には些かの動きが見られた。
「そうなのですね。それは驚きました。100年先からと言われてもあまり私にはしっくりとこないのですが、元号での経緯を踏まえられるとなんとも現実味を増すと言いますか、もちろん此処は現実などではないのだけれども、私とあなただけの特別な世界なのだけれども、私にもどこか心が通ずるような気がいたしました。
しかしそんな先の未来からお越しなったということは、私が書いた小説なるものはあなたが生きる現代でもまだ読み継がれているということなのでしょうか」
「ええ、仰るとおりです。そして私が先生とお話したいと思っていたのもまさにその点にあるのです。先生の作品は先生の死後もあらゆる世代に受け継がれながら色褪せることなく読み継がれています。これは紛れもない事実であり、途方もない軌跡であり奇跡なのです。どうして先生はそのような偉業を成し得たのでしょうか」
私は確かに先生を感じ得た興奮からか、呼吸をおかずに言葉を紡いでいた。
「おやおや、あなたは可笑しなことを仰いますね。あなたは偉業と言いますが、偉業も何も私の作品が読み継がれたかどうかは私がこの世から離れた後の話ではありませんか。それにあなたが生きる現代の方々にとって私がどのような評価を得ているかなど私にはついぞ分かりえないことですよ」
「先生の評価は誰もが疑うところではございません。何世代にも渡って読み継がれているという事実が何よりの証拠です。だからこそ私は100年もの後の世界からこうして先生の前に現れたのです。
そして先生、私がお聞きしたいのはそこなのです。なぜ先生はそのような作品を世に生み出すことができたのでしょう。どのような心持ちで作品と向き合っていらっしゃったのか。ぜひともお聞かせ願いたいのです」
「心持ちとはいい表現ですね。心持ちという意味では何も私は持ち得ていませんよ。ただ我が思うがままに描いただけなのですから」
私はある程度予測していた言葉が先生の口から出たために少し寂しさを感じた。
「何も持ち得ずしてなぜあのような小説が書けるのでしょうか。やはり才能が成し得るということに尽きるのでしょうか」
「そうではありません。私に才能などあるのでしょうか。そんなことは当の本人ですら分かりえないことです。私がお伝えしたいことは才能の有無であるとかそういうことではないのです」
「才能でなくてなんなのでしょうか。先生の作品はどこにも古さを感じさせない。だからこそ普遍性があり、時代を経たとしてもなお新しく感じるのです」
先生は私の悲壮感にも似た表情を前に少し表情を硬くした。
「古さですか。確かに私の作品には古さという意味では時代に流されるものではないのかもしれません。なぜなら私が作品で描いているのは、人、だからですよ」
「人、ですか」
「そうです。人です。だからこそ人に古いも新しいもないのです」
先生から見た私の表情は悲壮感から疑念を帯びたもの映ったに違いない。
「人と言われましても、私には先生の意図がわからないのですが、、、」
「つまり、私には、人のことがわからないのです。小説にも書きましたが、私は叔父に騙されました。そのことが原因で酷く神経症に悩まされたのです。しかし人が信じられないと言いながらも人の愛に溺れたのです。そのことがさらに私にとって人というものをわからなくさせました。わからないものはわからないのです。しかしわからないからこそ描くのです。あなたにはその意味がわかりますか」
私の頭の中、いや私は今瞼を閉じた世界にいるので今はさながら夢の中だということだと思うが、何れにしても先生の言葉に私は大いに混乱していた。
「逆に私からあなたにお聞きしたいのですが、なぜあなたは私の小説を読んだのですか」
「私は現在40歳を目前としています。正直申し上げると先生の作品を読み出したのはごく最近なのです。それがなぜだと言われても、、、」
「そこをよくお考えなさい。そこにあなたが求める答えはあるように私は思いますよ」
先生にそう諭され、少し私は冷静を取り戻した。
なぜ先生の作品を読むに至ったのか。小さい頃には読まなかったのに、なぜ今になって、、、。なぜ今?
「あなたは40歳を目前にしていると言いましたね。もし私の作品が読み継がれているというのならなぜあなたは40歳になるまで私の作品を読まなかったのですか」
「いや、おそらく私が小学生くらいの頃には先生の作品に出会っていたはずです。そして読んではいたと思いますが、恥ずかしながらあまり記憶には残っていませんでした」
「それはそうですよ。なかなか小学生くらいの頃合いで私の作品を理解することは難しいでしょう。それはある意味では当然だと思います。なぜならまだ若過ぎるからです。すべてにおいてまだ世間というものが見えていないのです。そのような中で私の作品を理解しようにもそれは些か無理があるように私は思います。
あなたは小さい頃から本を読む方だったのですか」
「そうではありません。きっかけと言えば自分の子供が生まれたことがきっかけなのです。そこで自分の人生を見つめ直す機会があり、それを契機として本を、そして小説を読むようになりました」
「その機会を得てからどれくらい本を読むようになったのですか」
「年に100冊ほどでしょうか」
「年に100冊ですか。それを何年ほど続けているのですか」
「4年ほどになると思いますが、、、」
「それだけ本を読んでいて、読んでいる過程でなぜそもそも本を読んでいるか疑問に思うことはありませんか。本が面白いということだけではなかなか続けられることではないように私は思うのですが」
先生の問いかけに私は考えた。考えたというよりも自分自身に問いかけた。確かに本を読むことにどんな意味があるのだろうか。あらためて問われるとその答えは考えてもわからない。しかし確かなことがひとつだけある。
それはなぜだか理由はわからないが本を読み続けているという事実だ。
私はその瞬間はっとした。身体に電流が駆け巡ったかのような衝撃だった。
先生は私の異変に気がついたのか、それでも私の口から出る言葉を丁寧に、そして優しく待っていた。
「私はなぜ本を読み続けているのか、正直その理由はわかりません。ただ事実としてそれを続けています。世の中にはわからないことだらけで、何をすることが正しくて正しくないのか、それすらもわかりません。仮に正しいと思って行った行為が自分が意図する様には他者に受け入れられないことだって多々あります。そんなことに雁字搦めになっているとやがて身動きが取れなくなります。窮屈なのです。そんなわからなくて不確かな世界の中でも何かできることと言えば、自分の意思で続けることだけだと思うのです。だから私は本を読むことその行為自体に、自分の明確な意思を持って行っているという事実に重きを置いているのかもしれません」
「そうですよ。私もあなたと同じです。あなたは私の作品が世に語り継がれていると仰いましたが、そんなものは結果であって偶然の産物に過ぎません。いくら私が世に出たいと願っても、必ずしもそれを世が受け入れてくれる保証などどこにもありません。そんな不確かな世界で私ができること、それは描くことです。
先程も言いましたが、私には最後まで人というものがどういったものであるかといった答えはついぞ知り得ませんでした。
仮に知り得たと思えた感覚を掴んだとしても、瞬きの間にその感覚は掌から零れ落ちてしまうものなのです。
でも零れ落ちて形に残るようなものではないからこそ、私は自分が思うがままに人を描くのです。逆説的にいうと描くことしかできないのです。描いて描いて深く描くからこそ、もしかしたらそれが深く人々の心に響くのかも知れません。
私の世代のものたちは常にそばに戦争がありました。だからこそ独特の厭世観と言いますか、死生観が付いて回っていました。
自分では抗えない背景が常に身近にあるからこそ、できること、つまりは深く深く描き切ることをしていたのだと思います。
もし私たち世代の作品があなた方に今もまだ受け入れられているのであるとしたら、私たちは少し面映い気は致しますが、それはそれで命を賭けた甲斐があるというものです。
話が長くなりましたね。少し私も疲れてきました。でもこうしてあなたに会えて良かった。またいつかお会いできることを心待ちにしていますよ」

先生が瞼の裏から消えた時、私は目を開け横をそっと振り向いた。そこには静かに寝息を立てる息子があり、この息子のおかげで先生に会うことができたのかなと微笑を浮かべたのだった。

タイトルRe: 小説『先生』
記事No5106
投稿日: 2020/01/17(Fri) 22:54
投稿者ようへい
USA様

今回の作品を読ませて頂いて私は、先生がまるで ソクラテス のような人だなあと感じました。

ソクラテスは、その生涯で名だたる書籍を残した訳でもない。
にも関わらず、無知の知は途方も無く有名なワードで、
ソクラテスの弁明も多くの人が知っている。

名著を残した先生も残していないソクラテスにも後世の人が影響を受けている。
世の中は本当に不確か、かつ面白いですよね。


ちなみに読書をする私なりの理由・・
読みたいから。ではだめですか?


奈良市在住 ようへい