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タイトル短編小説『蛍』
記事No4877
投稿日: 2019/08/10(Sat) 01:41
投稿者USA
1
蛍、君に逢いに来たよ。

2
夜風がほんのり冷たく心地よい、そんな水無月の夜。
なぜ水無月なのかな?
俺はふとそんなことを考える。
旧暦では梅雨が明ける時期であったため「水がない季節」だから水無月。
あるいは稲作のために田んぼに水を引くから「水の月」で水無月。
諸説あるみたいだけど、いずれも自然に寄り添った、そして自然がごく身近にあったからこそ名付けられたであろう暦。
昔の人はロマンチストだな。
目の前では田んぼの上を優雅に蛍が舞っている。まるでこれからの梅雨を歓迎するかのように。梅雨があり、雨が降り、やがて稲穂が実る。そこに生命が宿る。そんなことを蛍はきっと本能的に知っているのだろう。
だから待ち遠しくて仕方がない。蛍の舞はきっと喜びの表現に違いない。心の中でそっと呟く。

「ねぇ、あなた。蛍って素敵ね。なんだか喜んでるみたい。きっと何かが嬉しくて楽しくて仕方ないのかもね」と妻の由希子が僕に語りかける。
「そんなもんかな。ちょっと考え過ぎじゃない?」
僕も内心全く同じことを考えていたとは恥ずかしくてとても言えない。
「なによ。こんな時は素直に、そうだね素敵だね、って言ってくれればいいのよ」
ふくれっ面の由希子とそしてそのふくれっ面と同じように膨らんだお腹を横目に俺は思う。
この時間が永遠に続けばいいのに、と。
「ねぇあなた、生まれてくる子供の名前なんだけどさ、蛍、はどうかしら?なんだか素敵じゃない?きっと誰にでも優しい光を照らしてくれるとても心の温かい子に育つと思うのよ」

3
蛍の妹である水月は生まれた時から身体が弱かった。出産直後から呼吸器なしでは息ができず、その小さな生命はいつ消えてもおかしくなかった。いつ襲うかもわからない最悪な事態を想像するだけで俺も由希子も狼狽えるばかりだった。
そんな中、まだ幼い当時6歳の蛍は俺たちを、そして生まれたばかりの水月を温かく受け入れるように語りかけた。
「大丈夫だよ。水月はきっと大丈夫。僕がそばにいるから」
俺も由希子も、蛍のその根拠のない励ましにただただ縋るしかなかった。俺は蛍をぎゅっと抱きしめた。
「そうだよな。水月はきっと大丈夫だ。こんなに頼りになるお兄ちゃんがついてるんだもんな。父さんはバカだよな。ごめんよ」
蛍を抱擁しながら俺は涙が止まらなかった。腕の中にいる蛍はとても優しく、そしてとても温かかった。

4
突然医師からこう告げられた。
「蛍くんの脳に腫瘍が見られます。蛍くんはまだ10歳と幼い。だからこそその進行はとても早く摘出も極めて難しいのです。このまま放置すれば確実に死が訪れます。仮に手術をしたとしても蛍くんは寝たきりになると思われます」
「先生、何を、何を言っているんですか?蛍に腫瘍?まだあんなに小さい子供なのに。どうして、どうして蛍が、、、」
俺の思考はもはや正常を保つことは不可能だった。
まともに外に出ることさえできない水月。
それに加えまさか蛍まで。
俺は自分を呪った。どうして子供にばかりそんなつらい思いをさせなくちゃいけないんだ。なぜ俺にそのつらさを向けてくれない。子供が無事に健康で育ってさえくれればあとは何も望まない。それは贅沢なことなのか。そんな当たり前のことを望むことさえ許されないのか。俺はどうなってもいい。だから2人を、俺の最愛の子供2人をどうか救ってください。お願いします。
俺は声にもならない声で心の中で呟いた。

「お父さん、お気持ちはお察しします。気持ちを保ってと言ってもそれは無理でしょう。しかし私は医師としてどうしてもお話ししておかなくはいけないことがあります。それは移植についてです」
イショク?移植ってなんだ。何を言ってるんだ?俺の頭はますます混乱するばかりだった。
「蛍くんには脳に腫瘍があると先程ご説明しました。しかし不幸中の幸いといいますか、まだ脳以外に転移している箇所は見当たりません。つまり脳以外の部分は極めて健康なのです」
だからなんだと言うのだ。ついさっき、蛍は寝たきりになると言ったではないか。何が不幸中の幸いだ。ふざけるのも大概にしろ。
そんな俺の不安定な感情をよそに医師は続けた。
「一方、蛍くんの妹である水月ちゃんは脳は到って正常ですが、内臓に異常があることから外で遊ぶことすらままなりません。
つまり、、その、、、これから先はどうお伝えすればいいのかわかりません。
しかし選択肢としてご説明させていただきます。
それは蛍くんが脳死と判断されたその瞬間に、蛍くんの臓器を水月ちゃんに移植するのです。そうなれば水月ちゃんは思い切り外でも遊べるようになるでしょう」
水月が外で遊べる。あの水月が?どういうことなんだ?水月が元気に?
それはつまり、、蛍が?

「つまりは、、、蛍くんが水月ちゃんを救うことができるのです」

5
病院から自宅までの記憶は全くない。どうたどり着いたのかさえ覚えていない。
しかし医師から伝えられたことを由希子に話したことで、由希子が一晩中噎び泣いていたことだけは鮮明に覚えている。

いくら水月が元気になるとはいえ、蛍から臓器を移植するなんてことは想像すらできないことだった。
医師の説明では、脳死と判断された瞬間にすぐに移植に取り掛からなければならないとのことだった。つまりは今の段階から決断をしておかないと水月の移植は手遅れになる。
理屈ではわかっていても最愛の息子を前にその先のことなど考えられるわけがない。こんな選択、決断できる親などいる訳がない。
頼むから、俺の生命を差し出すから、2人とも救ってくれ、、、。
俺も涙を止められなかった。

6
「昨日ね、僕、不思議な夢を見たんだよ」
検査入院のために蛍は病院に泊まっていた。
蛍には伝えていないが、蛍の身にいつどのような事態があるかわからないと医師からは言われていた。

「へぇ、どんな夢?教えてよ」
果物を切りながら、妻が平静を装うかのように気丈に振る舞う。
「僕がね、まるで本物の蛍のように空を舞っているんだよ。あたりはとてもキレイな田んぼで近くには透き通った川が流れていてね。
それでね、僕はあまりにも気持ちよくて、楽しくて、嬉しくて、ふわふわと空で踊っていたの。その様子をね、見ている人がいてさ。
その人たちも僕が舞っているのを見て笑顔になってさ。その笑顔を見て僕はとても嬉しくなってね。
そして思ったの。
あ〜、天国ってこういうことをいうのかなって。それでね、僕はさらに空高く舞い上がって、星になる、、、っていう夢。
なんだか素敵じゃない?」

俺と由希子は顔を見合わせた。
知らぬ間にお互い涙を流していた。
しかし蛍の夢の話を聞いて、俺たち2人は無言の中にもある決意を固めた。

7
「あの蛍さん、とてもキレイじゃない?それにとても楽しそう」
由希子が水月に語りかける。

俺たちは蛍が生まれる前に訪れた田舎の畦道にいた。
あの時と変わらず、蛍が喜ぶように舞っていた。
「ほんとね。とても綺麗。それになんだか嬉しそう。気のせいかもしれないけれど、私たちがここにいることを喜んでくれているみたい」
「水月。それは気のせいじゃないよ。きっと嬉しくて仕方ないのさ。だって水月。お前がこうしてここに来て、あの蛍を見つめている。それだけで奇跡なんだよ」
俺はそっと水月の背中に手をやった。その背中からは蛍の灯りのように微かな温もりを感じた。

1匹の蛍が宙を舞い、やがてひとつの星となった。

タイトルRe: 短編小説『蛍』
記事No4879
投稿日: 2019/08/15(Thu) 00:15
投稿者ようへい
子を持つ親の気持ちです。
頼むから、俺の生命を差し出すから、2人とも救ってくれ、、、。

・・・深く同意しました。

子を持つ人が読むと涙腺が緩みます。

感謝!

奈良市在住 ようへい

タイトルRe^2: 短編小説『蛍』
記事No4880
投稿日: 2019/08/15(Thu) 07:30
投稿者USA
> 頼むから、俺の生命を差し出すから、2人とも救ってくれ、、、。
>
> ・・・深く同意しました。
>
> 子を持つ人が読むと涙腺が緩みます。
>

ありがとうございます。
この短編小説『蛍』は、今読んでいる『人魚の眠る家』(幻冬社)に影響を受けて書いてみた作品です。