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タイトルどんなよのなかにしたいか
記事No4416
投稿日: 2018/09/25(Tue) 13:01
投稿者最前席のファン
 藤原さんはどんな人を育てたい、どのようなよのなかにしたいと思って、トークライブをされていますか?

 私は子どもに毎日を楽しく生きて欲しい、よのなかはざっくりですが、みんなが幸せになれたらいいと思っています。

 昨日のライブではメトロノームのように動き、相手に分かる言葉で話されていて、映像では味わえない感動がありました。ありがとうございました。

タイトルRe: どんなよのなかにしたいか
記事No4417
投稿日: 2018/09/25(Tue) 16:35
投稿者カズ
>  藤原さんはどんな人を育てたい、どのようなよのなかにしたいと思って、トークライブをされていますか?

 いろいろ難はありますが、基本的には、日本は住み心地の良い社会だと思います。
 先日も、ある調査会社の調べで、75%が今の生活に満足していると答えたとありました。

 でも、もうちょっと「柔らかい」ほうがいいかなと考えています。
 杓子定規の答え、教科書的な答え、常識的な前例主義、正解主義、事なかれ主義ではなく、少しだけ想像力を働かせて、人と人の関係をクリエイティブに楽しめるような社会です。

 そのためには、「サラリーマン」という職種(処理業務)の意識で働いている人が減って、組織に従属して働いているのではない「自営業」の意識で働いている人が増える必要があるのかな、と。そうなれば、会社責任ではなく、自分の責任で動ける人が増えるでしょうから。
 会社人間ではなく会社内「個人」、組織人ではなく組織内「個人」の目覚めのために本を出版し続けているのはそのためです。
 
 だから、子どもたちには、正解や正解らしいことを無条件に受け入れるのではなく、クリティカル・シンキング(複眼思考)で上手に疑う力が必要になります。
 地域社会の多様な大人が学校の運営に関わることや、講演ライブで体験していただいた「よのなか科」のような、正解が一つではないことを大人と子どもが一緒にブレストしたり、ディベートしたりして学ぶアクティブラーニングの機会が増えることが条件でしょう。

 一条高校では生徒から、スマホを通してもっと意見や質問、授業に対する評価を先生側に逆流(フィードバック)させる工夫もしましたが、これも生徒が自由な意見を発言する練習機会を増やして、自由な個人として人生を拓いていくのに必須の「思考力・判断力・表現力」を養成するためです。

 ただし、正解主義、前例主義、事なかれ主義を蔓延させている一つの原因である日本の学校システムの支配力は、3割以上を占めるベテラン教員の退役と児童生徒の多様化で、自然に弱まっていくでしょうから、標準化圧力が下がって、自由度が上がることはもはや避けられないと思います。
 このことは一方で、黙っていれば「上質の普通」を7割生み出せた社会システムが変質して、中間層が上と下に分離すること(格差が広がること)も意味しますけれど。

 あとは、そんなに大それた理想論ではなく、学校の校長があらゆる挨拶や式辞で原稿を神社の祝詞(のりと)のようにのっぺりと読むのではなく自分の言葉で語るようにしてくれないかとか、若者がスマホの指示通りに犬のように動くのではなく、スマホとの距離をとって、時には自分の判断で動いた方がいいんじゃあないかとか、細かくて具体的なことが気になる程度です(微笑)。

タイトルRe^2: どんなよのなかにしたいか
記事No4420
投稿日: 2018/09/26(Wed) 00:07
投稿者最前席のファン
 いい話を聴いただけで終わらせない為に、家庭で
@母は感情的に話さない
A子どもには多くを発言させる
事に挑戦します。表現力をつけたいからです。
 
今、子どもに必要なことは
今、親にも本当は必要であって
お互いが挑戦しない限り話が通じないといって終わると思います。

 そこでまた質問ですが、正解を出さない問題の終わり方はどのようなりますか?

 すでに、国語で昔話のようにめでたしめでたしで終わらず、この物語の続きはどうなると思いますか?と出てきました。母親は、簡単にどんどん作りましたが、ここでもいつも母の意見が正しいと思われたくないのです。それに、いつまでも考えてしまいます。今は、お互いの意見からコラボ作品を作る、時間を区切る。を繰り返しやっていくのが良いのかと手探りです。

タイトル正解のない問題の終わり方
記事No4421
投稿日: 2018/09/26(Wed) 07:37
投稿者カズ

>  そこでまた質問ですが、正解を出さない問題の終わり方はどのようなりますか?

 学校の先生は一般的に、自分だけが正解を知っていて、その正解を当てさせる授業に慣れています。そうした正解主義の授業に慣れた子も、また、最後に先生が正解を言わないと戸惑うものです。「よのなか科」のような正解のない授業をやり始めた当初の児童生徒もそうでした。

 最後の方で、私が正しい答えや見本となる解を言うと思って待ち構えていると、「はい、授業はここまでね。あとは自分で考えてください」と終わるから、ボーッとしているようなところもありました。

 「正解のない問題には模範解答もない。ただ、より納得できる仮説(納得解)があるのみ」・・・この事実には、慣れるしかないのです。

 私も、次男と長女がまだ小さかった頃、布団の左右に寝かせて自分も真ん中に横になって寝かしつける際、「むかしむかし、あるところに・・・」と物語の創作をして、続きを順番に語っていくという遊びをやりました。だいたい、10分も持たないんですが。3巡目くらいには寝てしまいますから、終わり方を考える必要はありません。
 自分が途中で寝てしまうこともありました(笑)。

 また、「走れメロス」という教材が、中学校の国語にはありますが、通常の授業では様々なトラブルに見舞われながら「間に合った」完璧なストーリーの中で、主人公の気持ちの動きや作者(太宰治)の意図を「忖度」するための「正解」を教えます。
 でも、アクティブラーニングではそうはなりません。
 例えば、「もし、メロスが間に合わなかったら、王は人質の親友を即処刑しただろうか?」と生徒に投げかけ、ディベートさせるのが面白いと思います。

 この場合でも、「正解」はありませんから「もし、即処刑でないなら、どうするのか?」「誰に捜索に行かせるのか?」という条件が議論になり、様々な仮説が出るはずです。
 「あと30分待とう」・・・は、時計もスマホもないんだから、ありえませんからね(爆笑)。

 したがって、教員や親が、最後に模範解答を述べる必要もないということになります。「開いて終わる授業」ですね。
 もちろん、教員も親もディベートに参加して一個人としての「仮説」を述べたり、児童生徒/息子や娘から出た意見を「いいね」と称賛することはいくらでもやって良いと思います。

タイトルRe: 正解のない問題の終わり方
記事No4424
投稿日: 2018/09/27(Thu) 23:24
投稿者最前席のファン
  素早い回答、本当にありがとうございます。

 問題の見つけ方や、納得解を出すまでの知識を増やす為に、楽しみながら、生活していきたいです。


 手始めに、今朝のニュースにコメントを言ったり、
面接官ごっこをしました。
 黙る事はもったいないのだと教えて、普段から自分の意見を持てるように一緒に訓練してみます。

 勉強といって緊張させずに、さりげなく、納得解を学んで行けたらと思っています。