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30/40's(サーティ・フォーティズ)
昭和30年代生れの40代のひろば



1956.8.21生まれ



1956年、在日韓国人の三男として東京に産まれる。幼稚園までは松山昌善、小学校から趙 昌善と名乗る。幼少期から周りの友達と「何か違う」と感じていたが、それを表面に出すことなく、ただ「一人の仲間」として受け入れて欲しかったという記憶がある。1975年、新天地を求めてカナダに渡る。トロントの大学ではパスポートに記載のチャンソン・チョウという馴染みのない名前で在籍。ここで初めて韓国からの韓国人と出会い、自分がいかに日本の水の中で育ってきたかを実感して愕然とする。渡加1年後、日本の永住権を失い、生まれ故郷の日本に帰れなくなる。1979年、カナダ市民権獲得、正式にヨシ・チョウと改名。このアンバランスな名前の中に、「どこかに属したいけど属せない」自分自身を映し出そうとする自虐的な自分がいた。青春時代はまさに、自分のアイデンティティーを捜す放浪の旅だった。
1980年、日本レストラン『じゃんじゃん』をバンクーバー郊外にオープン。全財産3ドル50セント、ゼロからの出発で、大好きな日本とカナダの文化交流に努める。集まってきた人は「日本の板前さん」「日系人」に始まり、「日本の登校拒否児」「家庭内暴力を受けた子供」「カナダの母子家庭の子供」「ボルネオの捨て子」「落馬事故で再起不能になった香港の名騎手」「乳飲み子を抱える未婚のティーン」「ヤクザから足を洗えないおじさん」など多彩を極めた。『じゃんじゃん』は14年の間、「どこかに属したいけど属せない」人たち200人以上の心の拠り所となっていた。
その後日本からの観光客、企業、福祉団体、マスメディアなどのコーディネーター、通訳、ガイドなどを努めるほか、ログハウスの輸出も手がける。今まで様々な職業に就いたが、残念ながら「私は○○です」と言えるようなプロフェッションを持ったことがない。職業は自分にとって媒体であり、強いて言えばいつでも「良き話し相手」でありたいと努めてきた気がする。2000年1月にレーシックというレーザー視力矯正手術を受け、30年つきあったコンタクトレンズとおさらば。裸眼で見える驚異の世界に感動し、多くの人の視力矯正をサポートする現職に至る。が、ただの「話し相手」であることに変わりはない。6才を頭に4人の娘のパパ。




なりたかったのは、
宇宙飛行士、建築家、
それから学校の先生。



●Lasik Vision Corporation, Japan Division,ディレクター(マーケッティング)
●Fort Ocean Enterprises Co Ltd 社長 (コーディネーター)


■『レーシックビジョン・コーポレーション』URL http://www.lasik-vision.com
■ヨシ・チョウ E-Mail yoshicho@aol.com


 コミュニケーター
ヨシ・チョウ
アナウンサー
武田 はるか
プロデュサー
金井 真介

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