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| 第3回コラム:松永真理さん |
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第1章『義理の父への「弔辞」』を読んだだけで、「ありがとう!」という気分になり、目頭が熱くなった。藤原さんが、死にゆく義父を看取る話が書かれた章である。身近な人の死に向き合ったとき、具体的にはどうすればいいのか、どうすべきなのか、それを深く考えさせられた。 緑あふれる生活を望んでいた義父に、もう一度、故郷・鹿児島の土を踏ませてあげたい。それが家族の願いだった。しかし、「もう少しすれば良くなるのでは」という希望をつないだ延命治療で、結果的に義父は故郷に帰ることなく、病院のベッドで息を引き取ってしまう。医者でもあり、強い意志を持っていたはずの義父も、最期に自分の意志を貫くことができなかった。身内が「よかれ」と思って善意でしたことが、必ずしも義父本人が望んだであろう結果に結びつかなかった。要約すると、そんな話だ。 藤原さんはそのことを非常に悔やみ、なぜ故人の希望をかなえることが出来なかったのかを、冷静に客観的に問いかける。 そして、藤原さんがこうした文章を書いたことに、少なからぬ衝撃を受けた。藤原さんは私の元の職場リクルートの同僚で、二十年来の付き合いになる。同じ部署になったり、仕事で一緒になったりしたことはないが、とにかく目立つ人だったので、他部署にもその名は轟いていた。 社内で毎年、「経営への提言」という懸賞論文のコンクールがあったのだが、藤原さんはそのグランプリの常連だった。また、入学、結婚、出産など、人生の節目節目の出来事をサポートしていく仕事に「ライフサイクル事業」という名前を付けたのも彼だったと記憶している。いわば、「リクルートの知性」とでも言うべき存在だ。 そんな「知の殿堂」のような藤原さんにして、義父の死を前に戸惑い、悩んだのだ。この、「人の死からしか学べないことがある」という事実は、私にとっては大いなる「気付き」だった。 この『プライド』という本は、様々な「気付き」に満ちている。今紹介したようなことは、人生でそう何度も出会わないような「大きな気付き」だが、日々の生活の中に紛れ込んでいる「小さな気付き」も、藤原さんはもちろん忘れていない。 例えば、第3章『「時間」をめぐる8つのお話』で、「逃げる』ということについて書いてあるのが面白かった。「逃げる」というとあまり聞こえはよくないが、藤原さんは、無駄なことからは積極的に逃げろと言う。 考えてみれば、世の中には「気が進まないこと」や「本当はやりたくないこと」が山ほどあり、私たちは大なり小なりそれに縛られている。付き合い酒、接待ゴルフ、義理で出席する冠婚葬祭……。自分は本当にそれを望んでいるのか? 見直しを行って、いらないものは廃止する。嫌々そんなことに関わり合うのは、時間もお金も労力も無駄だ、というわけである。 その通りだと思う。もちろん、組織の中で生活する以上、そうした束縛から完全に逃れることはできないが、そんな中でいかに自分を保ち得るか、それが大事なのだ。 藤原さんは、そうした個人モードで生きていける人を称して「iモードの人」と言っているが、実は私も全く同じことを考えていた。最近私が出した『iモード事件』(角川書店)にも書いたことだが、Docomoの携帯の「iモード」という名前は、その中に「自分の独立宣言」という意味合いを込めている。 サラリーマンとして生きていく以上、個人モードを貫くのは無理だ、と思われるかもしれない。でも、そこで黙って諦めてしまっては、何も変らない。私は、iモード開発の現場で、何度も「無理かもしれない」という場面に出くわしてきた。そこで、困難な局面を切り開いたのは、「無理だ」ではなく「やってみましょう」という言葉だった。そして、そうした言葉を言ってくれるのは、圧倒的にiモードの人なのだ。 これは、難しいことのように思われるかもしれないが、実は非常に小さなことの積み重ねで実行できることだ。大きな決断はおいそれとは出来ないかもしれない。しかし些細なことでも、「逃げる」ことの持つ本当の意味に気付いたら、その積み重ねが、自分や周りを変えていくこともできるだろう。 今挙げたのはほんの一例。他にも身につまされる話が山ほど出てくる。小さなパンチだが、連続して繰り出されることで、ボディーブローのようにじわじわと効いてくる。それを生かすも殺すも自分次第だ。読者のみなさんは、是非この『「気付き」の世界』を楽しんでいただきたい。その中で、きっと何かを変えていくためのヒントを見つけ出すことが出来ると思う。 (新潮社『波』9月号より転載) ◇第2回コラム:宮台真司vs藤原和博 “人生の教科書『よのなか』対談 ◇第1回コラム:テリー伊藤氏 “『処生術』を道徳の教科書に” |
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