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| 《藤原和博》 | ||||
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| 自分が本当にやりたいことだけを実現するために、会社人間でも独立でもない、“フェロー”という道を私は選択しました。そして2003年4月より、民間初の中学校校長として今度は教育というステージで“学校の革新”という公的なプロジェクトに挑戦しています。
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■略歴と手がけた主な仕事 1978年 東京大学経済学部卒業後、リクルート(以下R社)入社(当時、日本リクルートセンター)。大手企業の採用PRを担当する営業部門において2年連続トップセールス。採用PRに科学的手法を導入して「採用はマーケティングである」を実践。 1983年 以後一貫して新規事業関連の担当となる。まずマーケティングコミュニケーション事業の開発を担当。(1)「カーセンサー」事業の事業計画書作り (2)「ハウジング」事業の大阪営業担当課長。 1984年 論文「情報誌の未来」にて、情報誌の社会的機能を初めて明らかにする。広報室/調査部課長として(株)リクルートへの社名変更と(株)日本リクルートセンター調査部の新しいスタートの準備。 1985年 情報ネットワーク事業部門にて、1200億円を投じたR社の本格的新規事業である通信事業の切り込み隊一部隊長を務める。(1)全営業マンが自信を持って自社のデジタル回線を営業できる基礎づくり。(2)FNX(ファクシミリネットワーク)サービスの命名と営業専任部隊の設置。(3)「ネットワークの100人」の出版企画を推進。(4)R社へ「ニューリクルート30委員会」設置を提案。 1987年 情報ネットワーク部長として優秀経営者賞受賞。 1988年 東京営業統括部長。 1989年 以後、メディア制作担当プロデューサーとして事業部門から独立した機能を提供。「メディアデザインセンター」設立、初代部長。全情報誌の電子メディア化を準備するため研究開始。3年かけて電子メディアのソフト編集者の採用と育成を行う。実験的ゲームソフト“財閥銀行”等デビュー。 1990年 「メディアファクトリー」設立 初代取締役事業部長を兼務。マンガ/コミックというメディア形態に注力。ヒット・コミック“結婚”シリーズ、ヒーリング・コミック“シッタカブッタ”シリーズ等をプロデュース。オペラプロジェクト始動。エンタティメント分野への本格参入のため、世界の個展を素材としたシリーズでゲームソフトや教育ソフトをプロデュースする企画を推進。一旦ゴーがかかるが、継続的予算獲得に失敗。 1992-3年 メディアファクトリーのリストラ。同時にR社内にムック(定期発行ではない一発物のマガジン型出版物)プロジェクトを起こす。「じゃらんDEデート」ムック、「東京電話帳」ムック等プロデュース、後のムックリーズの基本的な流れが決まる。 論文「情報誌事業の未来」で10年連続優秀賞受賞。この年から専門職となる。 1993年 メディアファクトリー社のリストラ完了と同時に、11月渡英。マルチメデイア&ネットワーク分野への独自の切り込み方を模索し、97年からの事業展開の布石を打つためロンドン大学ビジネススクール(LBS)客員研究員として留学。 1994年 R社ビジネスプランコンペティションで、「個人と個人をダイレクトに結ぶ“エクスチェンジ&マートビジネス”の事業計画」がナンバー1プライズを受賞。新規事業担当部長に復帰、マルチメディア&ネットワーク分野での本格的なビジネスの仕込みに入る。ロンドンのLOOT(ルート)社との提携を成功させ(95年6月)日本初の“個人広告情報ネットワークシステム”「じゃマール」創刊へ(95年11月)。 1995年 パリに本拠を移し、教育/学習ソフト分野での先進的デベロッパーを開拓。 R社ビジネスプランコンペティションにて、「教育/学習ソフトのデジタル化事業と世界相互(日欧米間)のネットワーク高層」チームが連続でナンバー1プライズ受賞。キッズ・プロジェクトが組織される。 仏ガリマール社と組んで「ワンダーボックス」創刊(96年)。同じく仏ソフト開発会社とアート系学習ソフトの共同開発を推進。論文「2005年からの手紙-ひとつのシナリオ」「器の大きな会社であり続けるために」で、21世紀のネットワーク社会での最大のコンテンツは、(1)個人が発信する売買交感と友達作りのための「じゃマール」情報と(2)学習コンテンツであると予測。これらが新時代の事業資源を提供することを示唆し、この分野への積極的な投資を求める。 1996年 年俸契約の「フェロー」として特命新規事業担当。第3の事業領域として、住宅と医療福祉分野の接点(在宅介護のテーマを含む)で、新しいタイプの社会システム構築と情報ネットワークビジネスのあり方の検討を開始。当企画がビジネスプランコンペティションにて3年連続ナンバー1プライズ受賞。ライフケア事業準備室の誕生(97年4月)につながる。ビジネス「じゃマール」事業(起業家と企業内個人、地方の技術屋資源と都会の至近や人材を、企業組織や地域の枠組みを越えて縦横に柔らかく結びつけるネットワーク)のスキーム作り開始。 ■ボランティア・アクティビティーズ(社会的貢献活動) *東京での「国境なき医師団」(本部フランス)のPR活動を支援。 *子ども地球基金の鳥居代表と共同でメディアファクトリーから3年連続絵本を出版。東京、パリ、ジュネーブで原画展を行う。1997年にはクロアチアに作ったキッズアースホームにてメンタルカウンセリングを施すためのサマーキャンプに参加。 *プラン・ジャパンのスポンサー(支援者)として、タイのチャイルドと交流。 (以上、『処生術』巻末付録“私自身の履歴書”より抜粋) |
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