| 学校の授業…皆さんはどんな思い出をお持ちでしょうか。
私の場合、高校時代の授業が結構印象に残っています。決してまじめに、あるいは積極
的に授業に参加していた生徒とは言えなかったので「印象」を語るのは恥ずかしいので
すが…。 どの先生もほとんど教科書を使わない高校でした。一応世の中には受験校と認識されて いる高校なのですが、語弊を恐れず言えば先生の好き勝手な授業が展開される高校でし た。学習指導要領とやらについて巷では色々議論されていますが、わが母校はあたかも その治外法権だったのではないかと見紛うばかりでした。 数学といえば、いきなりユークリッド幾何学。「線」とは何か、「点」とは何か、生徒 と一緒に考える授業。いや個々の発言の連鎖をベースに構成されているという意味では 会議といったほうが良いかもしれないような場。 現代国語といえば、一学期間かけて三島由紀夫の「金閣寺」を読み込む。あるシチュ エーションでの主人公の思いについて議論し、先生も悩み考え込みながら授業時間が過 ぎていく。期末試験は当然「金閣寺」。しかも設問はただ1問、「金閣寺について述べ よ」だけ。 世界史といえば、通史をやろうなんて気はさらさらない。インドシナ3国史を徹底的に やったり、東大大学院のテクストを元にしたプリントを使い欧州経済史をやったり。世 界史=暗記科目という「常識」が覆され、歴史のなかにある「ロジック」を考える学問 なのだと知的興奮を覚えたものです。 普通の、本当にごくごく普通の公立中学から、暗記を中心とした受験勉強に時間を投入 した結果この高校に入学した私としては、これらはすべてカルチャーショックでした。 今から振り返ると、「自分で考える」ことの重要性を植え付けるための仕掛けとして授 業は機能していたのではないかと思うのです。 こうしたことをもっと目的意識的に自覚しつつ授業に参加できていれば、ちょっとは賢 い−知識のストック量が多いという意味ではない−人間に育ったのに…と後悔しており ます。だからという訳ではないのですが、我が子との接し方についてある思いを抱くよう になりました。すなわち「なぜそうなるのか」「どうしたら良いか」「どうしてそうし たら良いと思うか」といった「問いかけ」を大事にしながら、身近な物事について一緒 に考えるような親子の会話を共有したいと思うようになったのです。 とは言っても理系の人間ではないので、身近でも自然現象をテーマにした会話ではボロ がでてしまう。それはオヤジの沽券に関わる問題だ(!?)。そうだビジネスに関する ことなら結構イケルかも知れない。ということで、まさに私自身が身を置いているビジ ネスの世界に関連する身近なテーマを材料に○○についてどう思う、どうしたら良いと 思う、なぜだと思う、などと問いかけながら、一緒に考える会話を試そうと思い立った のです。 我が子に(人並かどうかは別として)やや思考能力が備わってきたころから、日常会話 のなかでこうした実践をし始めました。我が家には二人の子供がいますが、長男が小学 校5年、長女が3年のころです。せっかくだから思い出のためにどんな会話をしたか書き留めておこうとパソコンに入力するようにしました。 あるとき、娘に学校よりもお父さんの質問に答えたりするほうが楽しいと言われまし た。単純な私はますます頑張ってネタを仕込むようになりました。仕込むといっても、 まさにフリージャズのインプロヴィゼーションみたいなもので、家族団欒のその場のノ リでふと思い付いたり、ということが多いので、「問いかけ」がイマイチだと「掛け合 い」に発展しないで終わるようなことも多いんですけどね。 親と子の「よのなか」科…どこまで勝手連できるか分かりませんが、カズさんのおっ しゃる「問いかける」チカラの復興のためにささやかながら問題提起ができればいいな あと思っています。よろしくお願いします。 三室一也 |